calduccio


が朝早く僕の自宅にやってきて、無理矢理かつ強引に川原へ連れて行った出来事から1週間。この出来事は記憶に新しいだろう。 その記憶が薄れていく前に、またもやが押しかけてきた。僕はかなり前だがに合鍵を渡してある。これは万が一の時に使うために渡したもの。 今日、こんな一大事ではないことで合鍵を使ってほしくはなかった。しかしこんなことは今回が初めてではなく過去数回繰り返されているので別に怒っていない。 階段を駆け上がる音が聞こえた。足音でだと瞬時に分かった。これも何度も繰り返される故に会得した能力、と言うのは大げさだ。


「恭弥、起きて!海に行くわよ、海!」

「………キミ大丈夫?もう秋だよ」

「いいの、秋でも冬でも海は存在してるんだから!」

「道理が通っていない」

「いいから早く着替えて!これと…これね」


は僕の許可無くクローゼットを開けて服を選びだした。が選んだ服はセンスがいい。上下合わせても何の問題も無く着れるだろう。何も文句を言わずに着ることにした。


「じゃあ、下で待ってるから早く着替えてね」


バタン、と大きな音を出してドアを閉めて、登りと同じように駆けて1階まで下りていった。 言われたとおり、早めに着替えて下りていった。僕が人の言うことを聞くなんて滅多に無いことだ。だけ特別だ、と言うと自分の道理が通らなくなる。


「うん、似合ってる。さぁ海に行こう!」

「どうやって」

「恭弥のバイクでに決まってるでしょう」


僕はバイクを玄関前に止めてを待つ。女の支度は時間がかかるから好きではない。数分後にが玄関から出てきて後ろに乗った。落ちないようにしっかり僕の腰に腕を回している。


「行くよ」

「とばして、恭弥」


低音を響かせて走り出した。が言ったとおりにスピードを出す。しかし、これではに従ったわけではない。僕自身が望んだこと。そう言っていいわけを見つけた。

15分ほど走らせると、僕の腰に回されていたの細い腕に力が入ったのを感じた。


「寒い」

「そんな薄手で来るからだよ。秋を侮ると痛い目に合うよ」

「恭弥は暖かい」


さっきよりしっかりと腕を回している。顔を僕の背中につけ、温かさを求めていた。その仕草が異常に愛おしく見えた。

更に10分ほどして海に着いた。誰も居ない、秋になり閉鎖された海水浴場。何故こんなところに行きたがったのか。


「砂浜まで行こう」


また強引に手を引かれる。いつかの朝のワンシーンを思い出していた。はこの砂浜で一番眺めがいいと思われるところに座った。隣に腰を下ろす。 朝日はとっくに昇っていて、いつもの見慣れた太陽があった。


「海はいいぜよ」

「…何それ」

「坂本龍馬のマネ」


はよく、偉人のマネをする。今日は坂本龍馬だ。坂本龍馬が本当にそんなことを言ったのか僕は知らないので本当に真似ているのか分からない。


「私は坂本龍馬が悪いとも思ってない。かと言って徳川幕府が悪いとも思ってない。もちろんペリーも」

「じゃあ誰が悪いんだ」

「正義だとか、悪だとか、良いだの悪いだの、そんなの世の中に存在しないわ」

「そうすると、この世の中全てが狂ってしまう」

「もう狂ってるじゃない」


は近くにあった木の棒で砂浜に何か書いていた。‘Eppur si muove’イタリア語のようだったが僕には読めないし意味も分からない。 でもそれがの言いたいことだとは分かることができた。


「また彼岸花鑑賞ならぬ、海辺鑑賞かい」

「今度は鑑賞じゃないわ」

「今度は何」

「心を洗いに来たの」


そう言っては立ち上がり海に向かって走り出した。僕は咄嗟に腕を掴もうとしたけど、はすごく軽やかで、速かった。

裸足になり足だけ水に浸かっていた。もう10月の後半だ。寒くないはずが無い。


「こんなので、心を洗えるの」

「こんなのじゃダメよ」

「今度は何するんだ」

「こうするの」


一瞬にしては笑顔になり、海に寝転んだ。水しぶきが僕にもかかり、通り雨がやって来たかのように思えた。


「それで心を洗えたの」

「あともう少し」


はまた立ち上がり、今度は僕の手を握った。そしてまた笑って、海に寝転んだ。僕は必然的にと一緒に倒れることになる。通り雨どころではなく、大雨になってしまった。


「…咬み殺すよ」

「あはは、恭弥、全然怖くないよ」

「……風邪を引く。帰るよ」

「うん。こんなのにつき合わせて、ごめんね」

「今に始まった事じゃない」


二人ともずぶ濡れでバイクまで戻る。髪の毛など少しタオルで拭いて、家路に着く。 何のためにここに来たのかはわかっていない。それほどにまで追い詰められていたのだろうか。否、たぶん僕をからかうためだと思う。 は終始、笑っていた。


「家に帰ったら、髪の毛を乾かし合って、それから温かいスープを作ろう」


そう言って、行きと同じように、背中に強く抱きついてきた。もう寒さなど無くて、僕は暖かさに抱かれているようだった。






(2007/10/15)