abbadare
海に行った日から5日ほど経った。はいつも何処かへ出掛ける時は必ず朝にやって来る。しかし今日は夕方に来た。また強引に腕を引かれ彼女の望む場所へ連れてかれた。
今度はどこに行くのか、と聞いたら無視されたが、どうやらこの前の彼岸花鑑賞の川原へ行くようだ。また珍しいものでも見つけたのか、追い詰められたのか。何も問わずに、とりあえずついていくことにした。
川原に着くと、ほんの2週間前までは赤々と燃えるように咲いていた彼岸花は枯れていて、茶色になり萎れた花びらと茎が生えているだけだった。
「これって、亡くなった人は成仏して、怪我した人は直ったってことじゃないのかな」
「の考えからするとそうだね」
「でも茶色でしょ。まだこの世に未練があるのよ、きっと」
「例えば?」
「ガンで亡くなった人はガン細胞を憎み、車にはねられた人は運転手を妬む」
「そうなんじゃないの。興味ないけど」
「そうね、私もあまり興味が無いわ」
意外な返答に驚いた。は興味は無くてもただ、唐突に思っていることを言っただけなのか。いつかの彼岸花鑑賞の時も同じだったのか。
‘人は恐れを知らない’と人であるが言っていた。人の批判を人から聞いても説得力が全くないと思ったが、の言葉には力が秘められていた。僕は頷くしかできなくなっていたのかもしれない。
「私もそうよ。こうやって雲雀恭弥と一緒に居ることが恐れを知らないことの証ね」
「咬み殺すよ」
あまり迫力がなかったかもしれない。でもいつものように‘咬み殺すよ’と言ってもスズランは動じないだろう。
笑って流されることを分かっていてもなお、口癖のように出てしまう言葉。僕も恐れを知らない人間ではないかと思ってしまう。
はよく質問をする。多くは答えづらいものばかり。
何故かとは聞かないが、は自分の考えを他人の考えと比較したいと思っているのではなかと思う。そうすることによって喜怒哀楽を、個々の考えの深さを、世界の広さを知っていってるのではないか。
「帰るよ。まだ仕事が残ってる」
「部下にやらせればいいんじゃないの」
「大事な書類だからって草壁が言ってた」
「そう。私も帰ろうかな」
「たまには学校来なよ」
「1週間に1回は行ってるわよ」
「ワォ、初耳だよそれ」
「‘校門をくぐってるだけ’の方が正しいかもね」
川原を歩く。少し距離を置いて二人歩いているのはいつもの癖なのか。特に会話もせずに歩く。は先ほどの勢いはなく、かといって暗い訳ではなった。
少し喜んでいるようにも見受けられた。ここに来た意味は結局よく分からないが無駄足ではないと思う。
後ろを見守られる心地よさを分かった気がした。
(2007/12/25)