奈落の底に堕ちた時、きっとこんな気持ちなのだろう。太陽も当たらぬ底で、ただ過ごす。毎日毎日同じことの繰り返し。思うことも同じ。


あぁまた昨日と同じ今日が終わった。


この気持ちを作り出しているのはきっと彼。あの貼りついた笑顔の奥には、邪悪で無垢なものを感じる。


「もう未来に希望があるとは思えなくなったの」
「大丈夫だよ」


またあの笑顔。何故か怖くて何故か嬉しい。


「精市はいいよ。一度絶望から這い上がって、希望を手に入れたんだから」


彼は何も言わない。ただ繋いだ手に少し力を入れたぐらい。 そして薄ら笑い。彼はこの状況を大いに楽しんでいる。 彼は何かと人気がある立海テニス部の部長だ。注目を浴びないわけがない。 ましてや今は下校中。今日はテスト週間で部活はないので、人は多い。視線が痛い。 それを楽しんでいる。見せ付けるのを楽しんでいるのだ。


「本当に精市は悪趣味」
「そんなことを言われるのはだけだよ」


そりゃそうだ、なんて思いながら歩く。もう慣れたことだし、抗っても彼には敵わないことは十分承知している。 でも本気で抵抗しないのは彼が好きだからだと思う。


「あの夕暮れの橙と青とか、花とかを綺麗だと感じたら希望は見えてくるんじゃないかな」
「精市は感じたことなさそうね」
「失礼だね。僕はこう見えても絵を描くんだよ」
「そういえば、そうだった」


彼の絵を一度だけ見たことがある。水彩画だった。ぼんやりと描かれた色彩は、それでもはっきり見える。彼が書いたと言われれば納得がいく。 彼は水のように透明で、絵の具のように濃い心、瞳を持っているから。


「」


急に呼ばれ、立ち止まる。彼の表情は晴れやかだった。あぁ何か思いついたんだ、そう思ったときにはキスされていた。 周りから悲鳴が上がる。唇が離れると、彼は本当に満足したように笑った。私は鳥肌が立った。これも慣れっこだ。


「」
「なに」


再び呼ばれる。また何か思いついたのか。私は少し身構えた。


「僕が絶望から引き上げてあげるよ」


拍子抜けして、言葉が出ない。今まで聞いたことないような優しい声で言われ、少し期待した自分がいた。 さっきのキスが、この強く握られた手が本当なら、精市が最後の希望なのかもしれない。


「ならしっかり私を愛してよ」
「何だ、知らないんだ」


さっきとは真逆の邪悪な笑みが現れる。あぁ、これも好きなんだ。


「とっくに愛してるのに」









最後の奇跡