「彼女、何であんなにテンション低いの」
「彼氏にフラれたそうよ」


出勤すると。同僚が一目見ただけで分かるほど落ち込んでいた。 私は、あぁまたあの彼氏か、といつものように冷たく一瞥しただけだった。


「やっとあの彼氏と別れたんだ」
「面倒だったわ。彼女を慰めるのが」


さすがだね、と精市に笑われ、私は少しむっとする。 彼は分かってない、どれだけ女の愚痴というのが面倒なのかを。 私は、はぁーと息を吐き出して、その面倒な女の愚痴を自分の口から吐き出した。


「私が理解できないのは、私事と仕事の分別がないことよ」
「確かにそんなイメージがあるね」
「彼氏と何かあった時には落ち込んで仕事もいつも以上に時間がかかるし、
 出来なかった分が私に回ってくる。落ち込むのはいいけど、周りに迷惑をかけないで欲しいわ」
「ならどうするの」
「私なら仕事は仕事としてしっかり働くわ。例えば、貴方と別れても。
 そりゃあ悲しくならないことはないだろうけど、何事もなかったかのように振舞うと思う」
「それはそれで、俺は悲しいな」


精市は考えるように笑って、私を真っ直ぐ見た。その恐ろしく光る目を見て、あぁ何か思いついたんだと唐突に思った。


「じゃあ、別れようか」
「…は?」
「が僕と別れても本当に普通に仕事が出来るか見てみたい」
「本当に悪趣味よね、精市は…」


私が、精市の口から‘別れよう’と聞いた瞬間に溢れた焦りに、彼が気づかないはずはない。 それで満足しているようにも見えるし、本当に別れてほしいようにも見えるから、私は黙ってしまった。


「どう?いい考えじゃない?」
「どうじゃなくてさ…」
「動揺してるよ」


クスクス笑って楽しそうだとさえ思えてきた。私はどうしたらいいか分からず、柄にもなく慌てた。 それが彼の正に見たかったものだと分かっているのに、どうしても体が勝手にそうなるのだ。


「嘘だよ。別れる気なんてない」
「…精市のは嘘は、嘘に見えないから」


はぁ、と溜め息一つつくと、精市はにやりと笑うのだ。私はそれが気に入らなくて、仕返ししてやった。


「精市はどうなの。私と別れたら」
「俺がそんな男に見える?」
「…見えない」


聞かなきゃよかったと後悔した。 精市が私情を仕事に持ち込む男だとは思ってないし、そう答えるだろうと分かっていたのに、何故か聞いてしまった。 私はまた溜め息をついて、机に向き直った。


「…でも」


隣の席の精市は、何か思い更けるように呟いた。私はその彼の横顔を見つめた。


「いつも通り仕事はするだろうけど、内心は泣いてるよ」
「えっ」
「つまり、悲しいってこと」


その言葉は、私の中では考えられなかったのだろう。私は混乱して、目を泳がせた。 精市がまた、にやりと笑った気がした。頭の中で認識される前に、彼が唇を塞いでいた。


「ちょっと…!こんなところで…」
「部長からは死角だし、この山積みの書類で隠れてたよ」


平然と体勢を直す精市に、私は見開いた目で見るしかない。


「きっと今のの書類みたいに、俺のデスクにも山積みにされるだろうね」
「…別れたのがショックで?」
「分かって言ってるでしょ、」


少し機嫌が悪そうに言った精市の顔を見て優越感に浸った私は、今日だけは仕事をどれだけ回されてもいいと思った。