(何て顔しやがるんだ)


‘俺と同じ’そう言ったの顔は辛いものだった。あいつがあんな顔をするなら切腹の場面を見せなければよかった。 そもそも切腹することを教えなければよかったのか。 ただ、もしにそのことを知らせなかったとしても、彼女はあの時の表情をしただろう。そんな風に思えた。 俺は自分がどんな後悔を抱いているのか分からない。普段なら過去のことには気にしない。 こんなに悔やむことはあっただろうか。風が沁みた。









京の冬は寒い。江戸の寒さとは違い、体の髄から冷えるといった底冷えだ。そんな寒い日が続く一月中旬、ある男が屯所に訪れた。


「ちゃん、お客さんだよ」


あと半刻ほどで正午になるという時刻、私は台所で隊士達の昼餉を作っていた。 そこに藤堂さんが来客の知らせをしてくれた。


「分かりました。けれど、昼餉を作り終わったら向かいます、と伝えていただけますか?」
「了解。確か名前は‘はなぶさすよう’とか言ってたよ」
「えっ」
「何かいけないことでもあった?」
「いえ、驚いただけです」
「肌が白くていい男だったよ。もしかしてちゃんの…」
「おーい、平助!少し来てくれ!」
「ちぇっ、左之助さんが呼んでら。いいとこだったのに。じゃあ伝えとくよ」
「お願いします」


藤堂さんが台所から出て行った。私は再び食事の準備をするが、来客のことが気になってあまり進まない。 会いたいような、会いたくないような。そんな惑いがでてきた。


「失礼します」


襖を開け、来客用の部屋へ入る。下げていた頭を上げると、そこには久しぶりに見る守遙の顔があった。


「久しぶりだな、」
「…本当ね、守遙」


英 守遙。私とは幼馴染といったところだろうか。道場から五軒ほど離れた武家の生まれだ。幼い頃から道場へ通い、一緒に剣を磨いて来た。 彼の剣は繊細で、無駄がなかった。彼のようになろうと、努力したのを覚えている。でも江戸を出る時、何も言わずに出てきた。私は彼の顔色を窺うように見た。


「先生に頼まれてね。京まで来た」
「お父様が。わざわざありがとう」
「大阪の親族にも顔を出そうと思っていたから丁度よかったよ」


こんな談笑を何回か交わした。私は今の彼の気持ちを知りたかった。思い立ち、聞いてみることにした。


「ねぇ守遙。貴方は今でも怒ってるの?」
「さっきからそれが聞きたかったのかい?」


彼の笑みが今までより少し柔らかくなった気がした。私は何を言われても平気な表情でいようと気を張った。


「が新選組に行くことは怒っていないよ。ただ、黙って出て行ったのには怒っている」
「…ごめんなさい。合わせる顔がなかったの。守遙が浪士組に参加したかったのも知っていたし、それを
 断念したのも知っていた。貴方が将軍様や天子様のことを考えていたのだって。なのに、徳川も何も
 思っていない私が一人だけ新選組のそばに行ける。‘行って来ます’何て言えなかったのよ」


守遙が深く呼吸をした。ゆっくり吐き出し、話し始めた。


「浪士組を諦めたのは、僕の父が幕臣だからさ。父からはお前も幕臣になるのだからそんなものに参加
 しなくていいとまで言われた。その時初めて分かった。僕は幕臣になるのか、とね。僕は幕臣になり
 たいわけではないんだ。この剣を誰かのために使いたい。今の幕臣や旗本では戦は出来ない。誰も
 気力がないのだから。一人二人剣のたつ者が居ても戦には勝てないんだ。今の僕の剣は死んでいる
 のと同じ。稽古をするのみで、誰も守れていない」


長い長い御伽噺を聞いているようだった。本当に彼がそんなことを思っていたのか不思議で仕方ない。あの繊細な剣では到底そんなことは分からなかった。


「お前は変わったな、」
「…何故?」
「泣いているからだ。お前の泣く姿など子供の頃以来か」


言われて気がついた。私はまた涙を流していたのだ。


「泣くことに慣れたのか。少しは女らしくなったかな。それと、武士らしくなったようにも思えるよ」
「武士らしく…」
「あぁ。どこか居住いがしっかりしたかな」


守遙は一旦言葉を切った。少し醸し出す雰囲気が変わったような気がした。


「。お前、人の死を体験したね。見ただけかい?」
「…見ただけよ。自分では人を斬っていないわ」
「ならいい。いいかい。人は絶対に斬ってはいけないよ」
「…何故?」
「自分が変わってしまうからさ。今以上に変わった君を見たくはないからね」
「……貴方は人を斬ったのではないの?」
「何故そう思ったんだい?」
「守遙も十分変わったもの。前はあんなに自分の意見を言わなかったわ」
「確かに変わったらしいね、僕は」


守遙はどこか遠くを見つめている様子だった。部屋は締め切ってあったのに、何処からか風が吹いてきた。心地よく私達を撫でた。


「一番お世話になっている人は誰だ?」
「局長が筆頭だけれど、私が一番お世話になっているのは副長の土方さんね」
「今いらっしゃるのか」
「自室にいらっしゃるのではないかしら」
「案内してくれ」


守遙が立ち上がって廊下へ出た。私も彼に続き、土方さんの部屋へと案内する。どこか少し緊張していた。


「です。客人を紹介したいのですが」
「入れ」


まだ緊張は解けない。静かなこの空間は私を責めているようだった。


「私の道場の門下である、英 守遙です」
「英 守遙と申します」
「副長の土方歳三だ」


守遙はどこか満足げな表情で笑い、少し頭を下げた。


「貴方にならを預けられます。どうかよろしくお願いします」
「はよくやってくれている。気にしなくても大丈夫だ」


二人の会話は途切れ、挨拶は終わりとなった。横から見ていると、土方さんと守遙は言葉ではなく、目と目で話し合っているようだった。


「土方さんはすごいな、」
「何が?」
「居住い、眼差し、全てにおいて武士らしい。剣も強そうだった」
「次回会った時に立ち会ってみたら?」
「是非そうしたいな」


屯所の門まで守遙を見送る。少し日が傾きかけていた。


「あの人にを江戸へ連れ帰ると言ったら、きっと無理だったろうね」
「どうして?」
「だぶん彼も僕がそういうのではないかと思って身構えていたのではないかな。あの目は鬼の目だね。
 連れて帰らせない、と目が物語っていたよ」


ふと思う。私は新選組にとって欠けてはならぬ存在なのだろうか。私が居なくとも、食事は他の女中がやってくれるだろう。 何故土方さんはそんな風に思ってくれたのか。謎がかっていたが、不思議と嬉しさも現れてきた。


「土方さんにもお前は武士だ、と言われたことがあるわ」
「さすが土方さんだ。君が惚れた人だけある」
「えっ」
「惚れてるだろ、土方さんに」
「…そんな風に見えるの?」
「あぁ。土方さんと面と向かった瞬間思ったよ」


私は土方さんに惹かれているのだろうか。恋というものがよく分からなくなった。守遙は振り返り、微笑みながら言った。


「遙か遠くとも、を守るよ。僕の名前は‘守遙’だからね」






遙遠の君