新しい年になったが、特に日常に変わりは無い。相変わらず京の冬は寒かった。
新年始まってすぐの二日、局長をはじめ、土方さんや副長助勤の隊士達は、十四代将軍徳川家茂公の警護のため大坂へと向かった。
私は人気が少なくなった屯所で黙々と家事をしていた。
隊士のほとんどが出て行ったからといっても仕事がなくなったわけではない。
彼らが大阪へ下る前日、私は土方さんに呼ばれた。土方さんの自室の襖が少し重く感じた。
「留守は頼んだ、。俺達が居ない時を狙ってくる輩がいるかもしれねぇ。気を張れ」
「分かりました。土方さんもお気をつけて」
それだけで私は下がった。どこか物寂しく感じたのは何故だろう。
○
八日の夜。私はまた夢を見た。あの切腹の夢以来、見ていなかった。
前の夢とは違う感情があった。とても親しい人が関わっている気がした。
一人の武士がうずくまり、左腕を押さえていた。血が地面に垂れていて、深い傷のようだった。
土方さんがまた見えた気がした。うずくまる人の顔は見えなかった。そこで夢から覚める。
真冬だというのに汗が伝った。冷や汗の様でも、剣を振るった後の汗の様でもあった。
私の夢は肝心なことは見えないのだ。また悔しさが、虚しさが襲ってきた。
この夢はきっと正夢になる。いつ現実になるのか分からない。
私は土方さんに伝えるべく文を書いた。早く届いて欲しい。手遅れになる前に、後悔しない前に。
文を書き終え、微かな襖の隙間から見える夜空を見た。すぐにでも伝えたい、もどかしい思いだけが月に届いた。
○
十二日の正午頃。新選組が滞在している大阪の京屋に、京の屯所から隊士がやってきた。から預かったとされる文を持って。
歳三はその文を受け取り、大阪へ急ぎで来たその隊士に労いの言葉をかけた。
割り当てられた部屋へ戻り、文を開く。女性特有の柔らかな字だが、少し武士らしい硬さのある字でもあった。
が見た夢の話だった。きっと彼女は防ぐことが出来るかもしれないと思い隊士に急ぎを頼み込んだのだろう。
だが、遅かったのだ。すでに事は済んでしまっていた。山南は左腕を負傷した。
○
十四日、新選組は伏見奉行所へ滞在し、翌十五日、家茂公が入京するに従い新選組も京へ戻り、警護が終わるとそのまま帰営した。
歳三はすぐにを呼び出した。山南は前日に屯所に着いていて、彼女は知ってしまったはずだ。
「もう分かっているだろう?」
「…はい」
は歳三の顔を見ようとはしなかった。目線は泳ぎ、動揺しているようにも思えた。
「九日のことだ。見回りをしている際、不逞浪士と斬り合いになり山南さんは負傷した」
「私が…私がもっと早く夢を見ていれば…」
「それは違う、。自分を責めるな」
「しかし…私は何のお役にも立っていません。この夢も」
「その夢もいつか役に立つ。お前は前を見ていればいい」
その言葉を聞き、の肩がぴくりと動き、それから顔を上げて歳三をしっかりと見た。瞳は揺れ動くことはなく、絶望しているようには見えない。
「その目でしっかり見ろ。夢と現実を」
「はい」
○
「包帯を取り替えます」
「すまないね、君」
私は山南さんの身の回りの世話を仰せつかった。山南さんの傷は深く、何針か縫ったようだ。
傷が開かぬように左腕は動かせない。当分、剣も握ることはできないのだ。
武士としてそんな侮辱にも似たことは避けたかっただろう。山南さんの顔色はあまり良くない。
土方さんの話では、傷を負う前も顔色は良くなく、目眩を起こし、気を抜いたところに相手が斬りかかってきたそうだ。
「何か精がでるものを作ってきますね」
「ありがたい。待ってるよ」
以前から落ち着いた雰囲気のあった山南さんだけれど、この事件を経てから更に落ち着きが増したような気がした。
どこか遠くを見るような感じだ。
○
「山南さんは傷が癒えたら剣を握れるのでしょうか」
「何故そう思う」
「今の山南さんを見ていると、たとえ傷が癒えても自ら剣を握ろうとはしないように思えます」
「山南さんなりに考えるところがあるのだろう。もし剣を握ろうとしなくとも、俺は彼を同士と呼ぶさ」
「それを本人の前で言ってくださればいいのに」
「鬼の副長はそんなことは言わねぇ」
「ただの土方さんは言うのですね」
気持ちは表に出さずとも、歳三が一番山南のことを考えていることはよく分かった。
強がる歳三には笑いながら問う。歳三は横を向きながら言った。
「さあな」
空虚の夢