「おはようございます、山南さん」
「おはよう、君。相変わらず早いね」
三月上旬。梅の季節が来た。二月二十日には年号が文久から元治へと改められていた。
山南さんの傷はだいぶ良くなってきているが、まだ剣を握ることは許されない。
動かせるようにはなり、本を読むことが出来るようになると、山南さんは嬉しそうに笑っていた。
怪我をした最初の頃は、医者が二日に一回は来ていたが、だんだんと日にちも開き、今では五日に一回程度になっていた。
私は今までの日常で行っていた家事や稽古に山南さんのお世話が加わり、いつも以上に忙しくなっていた。
他の女中の方々が気を使い、私にはあまり仕事が回らないようにしてくれているが、やはり人のお世話というのは気を使うものだった。
山南さんの昼餉が終わり、膳を片付けていると、沖田さんが部屋に入ってきた。
彼が入ってきただけなのに、どこか明るくなったような気がした。
「山南さん、遊びに来ましたよ」
「いらっしゃい、総司」
昔からの仲だからだろうか。山南さんはまるで沖田さんが来るのを知っていたかのような振る舞いだった。
ふと沖田さんがこちらへ向いた。
「さんは今日は休んでください。山南さんのお相手は私がしますから」
「そうしてくれ、君。君はあまり休んでいないようだからね」
二人の優しさをそのまま受け取り、私は少し休むことにした。しかし午後からの稽古には出なくてはならない。
特別な理由が無い限り、稽古には出ると決めていたからだ。山南さんの部屋の襖を閉め、廊下をゆっくりと歩く。
庭を見てみると、梅の木が控えめに咲く可愛げな花を纏っていた。あの木は梅だったのだと今更ながらに気がつく。
後ろから誰かが近づいてくる気配がした。振り向くと寒さしのぎなのか、土方さんが袖に手を入れて立っていた。
「これは梅の木だったのか」
「土方さんも知らなかったのですか」
同じことを思っていたことに笑ってしまった。土方さんが少しこちらを見た。
「。これから何か用事があるか?」
「いえ、ただ稽古には出なければなりませんので」
「たまには休め。どうせここにいるってことは山南さんに休めと言われたんだろう?」
「そうですが…いいんでしょうか」
「俺が許す。梅見へ行くぞ」
少し強引ではあったが、土方さんと梅を見られると思うと嬉しくなった。
今年は忙しくて梅見などできはしないと思い込んでいたのだから。
「支度して参ります」
いつもより少し高い声で話し、足早に自室に向かった。
土方さんが見繕ってくれた梅柄の着物を着て行こう、と思いながら。
途中、二人の隊士が井戸の所で話すのが無意識に聞こえた。
「昨日、副長は朝お帰りになられただろう?きっと島原だぜあれは」
「俺もそう思うぜ。すれ違った時に女の甘い匂いがしたよ」
それを聞いて私の心にはもやができた。苦しいと感じられるような心情が込み上げてくる。
自室で着替えていてもそれは続き、着れて嬉しいはずの梅柄の着物が何故かあせて見えた。
先ほどとはまるで違う気持ちで土方さんと合流して、屯所の門を出た。
○
は前と同じで、行き先は聞いていなかった。でも二人は紅葉を見に行ったあの寺への道のりを辿っている様に思えた。
しばらく歩き、やはりあの寺へと続く長い階段にたどり着いた。歳三はまたの速さに合わせて歩いていた。
境内に入った。今は冬なのであの紅葉の赤は見られるはずはなく、葉のない木が連なっていた。
奥に行く。すると梅の木が数本だが植えられており、なんとも言えない健気な美しさがあった。
今はまだ午を一刻ほど過ぎただけだというのに、この寺は薄暗かったが、その闇の黒さで梅の花の白さが映えていた。
「守遙と一緒に梅を見に行くと、彼が必ず言うのです。‘梅は闇の中でも明かりを灯すだろう’と」
(私のこの苦しい気持ちは、嫉妬だったのだわ)
はこの景色を見て、心が洗われ、気付いたようだった。
彼女が歳三の方を見ると、彼は先程よりも少しだが顔が強張っているように思えた。
「それを聞いていると、英くんも句が読めるようだな」
(が英 守遙の話をすると苛つく。何故だ)
「私の句は守遙に教えてもらったようなものですから」
の顔を見ていた歳三の視線は、境内の梅へと変わった。彼の表情が少し柔らかくなった気がした。
(この苛つきは、ただの嫉妬か)
俺もまだ青いな、そんなことを思いながら、歳三は微笑した。
また二人は梅を見やる。しばらく時が経った後で、歳三が口を開いた。
「さっきは少し機嫌がよくないようだったが、何かあったのか?」
歳三はが普段と違うことに気付いていたようだ。彼女はここまで来るまでも言葉少なに歩いてきた。
ふとと歳三の視線が交わった。は直ぐに視線を外し、歳三に背を向けてしまった。
「おい、どうしたんだ」
「な、何でもありません」
上ずった声。明らかにおかしいの態度に、歳三はこちらへ向かせようと腕を引っ張る。
「…どうしたんだ」
「……本当に何でもないですから」
「では何故震えている」
歳三が掴んだの腕は小刻みに震えていた。少し熱くも感じた。は一息つき、唇を開いた。
「私は病なのかもしれません」
「…どんな病だ」
「梅の季節なのに熱いのです。心も体も。土方さんを見ていると特に。
私は抱いてはいけない感情を持ってしまったのではないでしょうか」
目も熱を持って熟れているかのように潤んでいた。
「同じだ。俺も同じ感情を抱いてしまったんだ。お前に」
凍えた風が吹きぬけ、梅も二人の心も揺らした。
「お慕い申しております、土方さん」
その言葉を聞いた刹那、歳三はに口づけた。はその圧倒する口づけに驚いたが、唇から伝わる熱に目を閉じ、委ねた。
のあの目は、先程よりも更に潤み、溢れ出す涙へと変わり、流れた。
しかしは何かを思い出したかのように目を開き、歳三を押し離した。
「っいけません」
「…俺を慕っているのではないのか?」
「心から」
「では何故だ」
「貴方は新選組副長なのです。私などというただの女中を相手にしてはいけないのです」
「俺が新選組副長だとしても変わらん。俺はお前に動かされたのだ。心も、性格でさえも」
「しかしっ」
「俺は俺自身を信じている。俺がする行動は全て意味を持っていると思っている。
お前は新選組副長である俺を慕っていることを信じられないのか?」
「…もっと早く生まれて、貴方の近くで育ちたかった。今出会っても、貴方は迷惑するだけでしょう?」
「違う。信じるんだ俺を」
強い歳三の言葉が、の心に広がった。彼女はただただ頷き、涙を流した。歳三がを包み込む。彼女もまた彼を包み込んだ。
「信じております、土方さん」
春告草に泣く