「それで何故、機嫌が悪かったんだ」
二人は抱き合った形から少しだけ離れ、歳三がの顔を見ながら話し出した。
は目を泳がせ、躊躇いながらも話した。
「…私は嫉妬をしていました。土方さんが島原に行ったと聞いたから」
それを聞いて歳三が大きく笑った。そしてまたを抱きしめる。
彼女の頬は抱きしめられたからか、恥ずかしさからか少し赤かった。
「島原に行ったのは事実だが、女を抱いちゃいねぇよ。朝まで浪士を張っていたんだ」
「えっ」
「…お前の事を想っているのに抱けねぇよ」
最後の言葉はとても小さなものだったが、には聞き取れた。
彼女の心には嬉しさが満ち溢れ、目を閉じて歳三の背中に腕を回した。
「…俺も、お前が英くんの話をすると苛ついた」
「…嬉しゅうございます。でも守遙とはただの幼馴染ですよ」
「分かっている」
しばらくして、二人はどちらからと言うわけでもなく、自然と離れた。そして再び唇を合わせた。
先程とはまた違う、優しさに溢れたものだった。
「一句いいですか」
歳三が頷く。は梅の木を見渡してから詠んだ。
「春の闇 恍惚の君 火を灯す」
○
「土方さん。…帯を交換しませんか」
境内を出て、あの長い階段を下りている時、が恥ずかしげに言った。
この時代、恋人同士で帯を交換し合う慣習があった。
「いいぜ。お前は意外と女々しいな」
「…何か証がほしいのです。目に見える証が」
それから様々なことを話した。話に夢中になっていて、屯所に着いたことさえも分からない程だった。
「あっ。あの二人また出かけてたんだ」
「…おい、あの二人…朝とは雰囲気が違わねぇか?」
「えっ?同じように見えますけど、左之助さん」
「平助、総司。お前らはまだ若いなぁ。あの二人は恋仲の雰囲気を纏ってるぜ」
屯所の門をくぐった歳三とを見て、三人はこんな話をしていた。二人にこの会話は聞こえてはいない。
「俺の部屋へ来い」
「えっ」
「帯を交換するんだろう?」
履物を脱ぎながら土方さんは平然と言い、は自ら申し出たことなのに恥ずかしくなっていた。
その言葉に従い、は歳三の部屋に行った。部屋に着き、奥に歳三が座り、向かい合って襖の方にが座った。
が視線を合わせられないでいると、歳三がおもむろに帯を脱ぎ始めた。
が驚いたようにその行動を見ていると、歳三は脱いだ自分の帯を手に取り、の後ろへ回った。
「ひっ、土方さん?」
「それ」
「はい?」
「‘土方さん’と言うのは止めろ、せめて二人の時だけは。それではそこらの遊女と変わらん」
「…歳三、さん…?」
「まぁ、いいだろう」
歳三は少し満足気に微笑し、の帯に手をかけた。
「帯を脱がせてやる」
「っ自分で出来ます」
「何もしない。帯を交換するだけだ。そうだろう?」
その問いかけには観念したのか、抵抗を止め、歳三に任せた。
歳三の手によって解かれていく帯。歳三のその慣れた様な手つきに、は複雑な気持ちになった。
帯が取られ、歳三が先ほどまで自分がつけていた帯をに巻いていく。すぐに帯がつけられた。
「器用なのですね、歳三さんは」
「普通の男に比べればな」
「今度は私がつけます」
今度はが歳三の帯をつけていく。少しぎこちなかったが、歳三にはそこが愛おしく思えた。
帯をつけ終わると、歳三はを後ろから抱きしめた。
「お前は、俺との関係を言いふらすのか?」
「自分からは言わないようにしようと思っていたのですが」
「それでいい。まぁ隠す必要もないがな」
歳三が誰よりも近い。耳元で聞こえる低い声はに見えない証として伝わった。
は歳三の太い腕に触れ、手を重ねた。この刻に浮かんでいた二人は、誰かがこの部屋に近づいてくる気配で離れた。
「副長、おいでてしょうか。局長がお呼びで御座います」
「…分かったすぐ行く」
少し不機嫌そうに言った歳三を見て、は微笑んだ。
「俺はこれほど近藤さんを憎んだことが無いぞ」
「ふふっ。いってらっしゃいませ」
二人一緒に部屋を出て、それぞれ逆の方向へ歩いていった。二人の目に見える証が、少し目立っていた。
「トシ。そんな帯、前から持っていたか?」
近藤の部屋へ歳三が着いた途端、こう問われた。歳三は少し嬉しそうにしながら答えたのだ。
「前からほしいと思っていてな。今日手に入れたんだ」
○
「失礼します。具合はどうですか、山南さん」
「今日は気分が良いよ」
は山南の部屋にいた。休みをもらったといっても、やはり山南のことが心配なのであった。
「おや。どこかへ出かけたのかい?」
「はい。土方さんと梅見へ」
「いい休息になっただろうね。…その帯、どこかで見たような気がするのだが」
山南は土方がその帯を身につけている所を見て覚えていたのだろう。が微笑みながら言った。
「やっと手に入ったものなのです。証だと私は思っております」
「何の証だい?」
山南はの今までで一番の笑顔を見たように思った。自然と山南も笑う。
今の彼女には‘幸せ’という言葉が身についていた。
「私の居場所でございます」
○
次の日、鈴蘭は稽古に出た。一日ぶりの剣は重さを感じられなかった。心が晴れているからであろう。
この日、歳三も稽古へ出向いた。稽古場に彼が踏み入れた途端、隊士達がざわめき始めた。
ここ最近は稽古に出ていなかったからだ。彼が中へ進むと隊士達は左右へ避け、中心が空いていった。
「鈴蘭。相手をしてくれ」
「喜んで」
一人だけ避けずに佇んでいた鈴蘭の下に、歳三は行き立ち会いを頼んだ。
周りは今までの騒々しい雰囲気が一変し、閑散とした。まるで誰もが待っていた時の訪れを静かに迎えているようだった。
「始め!」
合図が鳴っても、二人はじりじりと距離をはかるだけであった。周りは息を飲む。
(八郎、やっと分かったぜ。これは立ち合わねぇと分からねぇ)
鈴蘭の剣は何とも言えない。周りからすれば、柔らかい剣だ。しかし、立ち合ってみるとそれだけではない。
その柔らかさとともに、凛としたものや、
何度も戦を経験した剣士のようなもの、一度も人を斬ったことのない勢いだけがある童のようなものも併せ持っていた。
(不思議な剣だ。見惚れるほどに美しい)
二人の睨み合いが続いていた。
原田と沖田が、この緊迫した空気の中で汗を伝わせながら小声で話した。
「やはり、あの二人は雰囲気が変わりましたね」
「やっと分かったか総司。見ろ。二人とも笑ってやがる」
二人の立ち会いは、この後に起こる最大の出来事の序章にも思えた。
「けど、恋仲は剣を向き合っちゃあいけねぇよ」
恍惚の証