「おはようございます、さん。お出かけですか」
「沖田さん。おはようございます。買出しに行って参ります」
「そういえば、今日は花見でしたね」
「ええ。楽しみですね」
今は四月中旬。桜の季節だ。七日に、改称により軍事総裁職となっていた松平容保が京都守護職に復帰した。歳三とが結ばれてからの新選組は特に大きな問題もなく、今に至る。二人のことも隊士達は気付いているのか、いないのかは定かではないが、誰も尋ねてはこなかった。
今日は午後の稽古が終わってから、桜の下で隊士が集まり、宴をすることになっていた。初め近藤は少し遠出をして名所の桜を見ようと言っていたのだが、万が一何か事件が起きたら困るとの歳三の意見に賛成し、屯所に近くすぐにでも伝令ができ、出動できるような場所の壬生寺で花見をすることになった。屯所の番をしている隊士も、半刻ごとほどに交替で花見に参加できるようにもした。は近藤から午後の稽古を休み、花見の準備をするように頼まれた。今から買出しをするべく、屯所の門をくぐりでた。街を歩いていても、民家や寺院などに咲く桜が時折見え、心を躍らせた。
大通りの手前にある、入り組んだ道の奥で、怒号が聞こえた。刀がぶつかり合う音もした。は民家の陰から顔を出し、遠くから見つめた。そこは昼間にも関わらず薄暗く、立ち合っている人影しか見えない。二人ともかなりの手練れなようだった。しばらくすると、一方の影が相手の腕を斬りつけた。斬りつけられた人影は、一瞬怯んだが、一撃を相手の横腹に打ち込んだ。しかしそれは掠めただけのようで、横腹を傷つけられた者は逃げていった。その場に残った者は腕を押さえしゃがみ込む。それを見ては駆け寄った。
「大丈夫ですかっ?今手当てを…」
「大丈夫だ。気にするな」
傷を見ようとしたに対し、怪我をした者は立って行こうとする。それを止めるようにはその者の袖を掴んだ。
「せめて止血だけでも。そうしなければ大事に至ります」
「…頼もう」
の勢いに負けたのか、その者はおとなしく従った。いつも屯所で使っている包帯や医療道具を持っていなかったは、自分の手ぬぐいを傷口に巻き、きつく縛った。
「しばらくすれば、血は止まります。医者に見てもらった方がいいですよ」
「…助かった。礼を言う。医者には…考えておこう」
無愛想に答える男に、は少し笑う。それに対し男は、一瞬怪訝そうな顔でを見たが、すぐに柔らかい表情に変わった。男は今度こそ立ち上がる。背を向けて歩いてゆく、名も知らぬ男には声をかけた。
「お名前を伺っても?」
「名は名乗れぬ。すまない」
「では私の名前だけでも。と申します」
「…覚えておこう」
男は入り組んだ道を行き、大通りに出て、ある旅籠に入っていった。通された部屋に入ると、一人酒を飲む男が座っていた。入ってきた男はその前に座る。二人とも神妙な面持ちだった。
「その腕はどうしたんだい、久坂くん」
「薩摩の中村半次郎です、桂さん」
話し出すと同時に、腕に怪我をした男、久坂にも膳が運ばれた。酒を注ぎ、喉に流し込む。斬られた腕に酒が沁みたような気がした。
「綺麗に手当てがしてある。自分でやったのかい?」
「いいえ。陰で見ていた女が」
「怖がらなかったのかい、その女は。強い女だ」
「…桂さん」
「なんだい」
久坂が黙る。桂はもう一杯酒を注ぎ、飲み干した。久坂が口を開ける。
「その女に、惚れたのかもしれません」
「…君には本妻がいるのでは?」
「もう何年も会ってはおりません」
「甲斐性のない男だな。だが男が女に惚れるのは仕方がなく、突然だ」
久坂は、吉田松陰の妹と十八で籍を入れた。おそらく吉田に言い寄られて仕方なくといった所だろう、と桂は思った。それなら本妻に対して愛情がないのは仕方がない。
「惚れたのなら、もっと喜ぶべきではないのかい?」
「…こんな時に私は何をしているのだ、と思うのです」
「確かにな。だがこんな時にこそ少しの至福の時があってもいいだろう」
久坂は悟られた子供のようにうなだれ、気持ちを晴らすかのように、勢いよく酒を流し込んだ。だが、二人がこのような話をしに会っているわけでは無いことは、久坂の人の目を気にするようにこの旅籠へ来たことが物語っていた。
○
「、準備は出来たのか」
「ええ。後は運ぶだけです」
午後の稽古が終わり、歳三が台所に様子を見に来た。床には酒などがならび、大荷物だった。歳三は島田や永倉などを呼び、重いものを運ばせた。はつまみなどを包んだ風呂敷を持って行こうとしたが、歳三がそれを奪い、行ってしまった。は慌てて後を追う。手持ちぶさたと歳三の優しさに苦笑した。
「遅いぞ、二人とも」
壬生寺の桜の木の下へ行くと、もうすでにお祭り騒ぎになっていた。近藤が大口を開けて楽しそうに笑っていた。歳三は近藤の隣に座り、は持ってきたつまみを配った。原田が踊りだしたり、歌をうたったりしていた。元々賑やかな者が多い新選組だからこそ、こんなに盛大な宴が出来るのだとは笑いながら思った。は、歳三の横へ行き酒を注いだ。その二人の姿を見た原田と沖田は顔を見合わせて微笑んだ。
「副長」
「どうした、山崎」
町人の格好をした監察方の山崎が歳三に耳打ちをした。歳三はそれを聞いて少し眉を寄せ、腕を組んだ。
「分かった。ご苦労だ山崎。そのまま頼む」
「心得ました」
何か起きたわけでは無い様だった。ただ、何かが起ころうとしている様ではあった。は二人のやり取りを隣で見ていても何も聞かない。彼女のそういったところが、歳三は好きだった。だが、彼女は口には出さないが、顔にはよく出る。今も不安の顔色だった。
「心配するな、」
桜の宴