「何故来た」
枡屋喜右衛門の拷問が行われていた蔵から、歳三が出てきた。辺りは悪臭が漂い、近づく者はいなかった。
は縁側で歳三が出てくるのを待っていた。悪臭には顔色変えずに。
「何故、ですか。鬼の副長を見に、とでも言っておきます」
「幻滅したか?」
歳三は少し物憂げにを見て言う。が少し微笑んだように見えた。
「いいえ。誰かがやらねば、秩序は乱れる。そうでしょう?」
「…さぁな」
歳三は、自分の汚れでを染めないようにとするかのように、全く彼女に近づかず、近藤の部屋へ行った。
は何も思わない。ただ蔵を見つめ、すぐに台所へ向かった。今夜はきっと何か起こる。なるべく山南さんと一緒に居よう。は何となしに思った。
○
枡屋喜右衛門、実名は古高俊太郎という。枡屋を通して長州と交わり、多くの情報を提供していたようだ。
その古高の証言はこうだった。
祇園祭の風の強い夜を狙い市中に火を放ち、混乱に乗じて宮中に参内するであろう中川宮と京都守護職の松平容保を襲撃し、天皇を長州に移す。
歳三は事の大きさと、前々から噂されていた長州の京都襲撃は真実だということに驚いた。
そして直ちに近藤と話し合いを設け、京都守護職や京都所司代にこのことを知らせた。
「報告します!枡屋の蔵から武器や火薬が盗まれました!」
隊士が慌てた様子で説明をする。どうやら古高の捕縛の情報が漏れ、武器や火薬を取り戻しに来たようだ。
次は自分達の様々な情報を持っている古高を取り戻しに来るだろう。古高の口が割られる前に取り戻したいはずの敵は、今夜にでも必ず集まる。
歳三と近藤は、綿密に計画を練っていった。
○
「山南さんには屯所を守ってほしい」
幹部での話し合いが終わり、山南の部屋に歳三が来てこう言った。はそれを聞き少しながら落ち込んだが、その配慮の裏には優しさが見えた。
山南は全て分かっているかのように何も言わず、頷いた。歳三はの方に向くと、いつものように真っ直ぐ瞳を見た。
「お前は山南さんのそばに居ろ。万一屯所を襲う輩が来ても、山南さんなら安心だ」
「この屯所に残るのは病人や怪我人がほとんどだから、襲われる可能性は十分にある。
私なら他の隊士よりは動けるよ」
「分かりました。お気をつけて」
はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、頭を下げ見送った。歳三もと話をしたかったが、時間がないのだ。
○
その夜、新選組は古高が捕縛されたことによって京の何処かで長州藩士が会合開くことを見越し、場所を探索することに全力を挙げることにした。
隊士は普段通りの見廻りをする者達と、三、四人ごとに屯所を出発して行き、祭を見にきたように装う者達などと分け、それぞれ祇園会所に集合する。
歳三は一人で会所を目指していた。祇園祭の宵々山である今日は、普段よりも大勢の人が行き来している。
こんな場所で火を放ったとしたら、そんな事を思いながら黙々と歩く。
自分の心の中で何か、熱くなるものがあるのを感じる。昔夢見た大きな獲物を目の前に、興奮するのを静めた。
少し早く会所に着くと、まだあまり隊士が集まっていなかった。歳三は探索の班分けや、道順など様々なことを決めていった。
その内に近藤をはじめ、多くの隊士達が集まってきた。
「トシ、会津や桑名の兵は戌の刻に来てくれるそうだ」
このとき新選組は、流行風邪や怪我などで半数が寝込んでおり、出動できたのはわずか三十四名。
これでは探索が難なく出来ないとして、会津藩や桑名藩に協力を要請した。
その兵が戌の刻、今で言う午後八時頃にこの祇園会所に出兵してくるそうだ。
約束の時刻までに隊士達は武装をし、士気を高めていった。
○
その頃屯所では、が寝込んでいる病気や怪我の隊士の世話をしていた。この隊士達の中には食あたりの者もいる。にも非があると思い、一生懸命に動いた。
一通り終わると、山南の部屋へと行った。挨拶をして中へ入ると、山南は刀の手入れをしていた。
そんな姿を見たは、実際に敵が襲ってくることが決まっているかのように思え、少し肩に力が入った。
「ご苦労様。少し浮かない顔をしているね」
「いえ…。思い出せないことがありまして、引っかかっているのです」
は先日見た夢のことを考えていた。あれから何度も思い出そうとしてみたが、全く分からなかった。
こんなに考えても分からないことは今までにはなかったために、更に重大なことに思えてき、少し焦っていた。
「それは大事なことなのかい」
「きっとそうなのでしょう」
すると突然、は激しい頭痛に襲われたかと思うと、すぐに治まり、意識が朦朧としてきた。
頭を押さえるに、山南は驚き、近くに寄る。呼びかけるが聞こえていないようだ。彼女の顔を覗きこむと、それは険しいものだった。
(何も聞こえない…頭がぼんやりとする…)
しばらくするとだいぶ良くなってきた。いつの間にか閉じていた目を開けると、暗がりが広がる。
何処かの旅籠だろうか。畳が敷き詰められた狭い間に、かなりの数の人が座っている。宴ではなないことは、彼らの表情を見ていれば分かった。
「古高をどうする。取り戻しに行くのか」
「そうしなければ、我らの情報が漏れてしまう」
「しかし、古高ならば仲間を売るようなことは言わぬと思うが…」
「私もそう思うが、相手は壬生浪だ。何をするか分からん」
彼らの口から聞こえた言葉。古高、壬生浪。は彼らの正体を察し、身を強張らせた。
(あぁ、ここはこの前見た、私の夢の中だ)
自身が動こうにも、それができない。誰かの体に意識が入っているかのよう。見て聞く事しか出来なかった。
「お二階のお客様!御用改めですぞ!」
突然、下の階から聞こえてきた。しかし浪士たちは気付かない。まだ酒を交わし、話し続けている。
乱暴な足音が二階へ近づいてきた。さすがに異常を感じた浪士たちは、蝋燭の火を消し、柄に手をかけていたり、抜刀している。
襖が蹴破られる。浅葱色のだんだらを羽織った、近藤であった。
「御用改めである!手向かいいたすにおいては容赦なく斬り捨てる!」
地が揺れるほどの大声で言う。敵に真っ向から挑むのは、いかにも近藤らしいとは思った。
しかし、そのようなことを考えている場合ではないのだ。ここにいる浪士はざっと見て二十名。
二階へ乗り込んできた新選組は近藤と沖田の二人のみ。どう見ても不利である。
だが、は不安になりながらも何処となくこの二人に絶望はしていなかった。
緊迫した空気がほんの少しあり、しばらくして一人の浪士が奇声をあげながら近藤に斬りかかった。
一振りで倒れる。それを合図に動きだした。斬りかかる者、逃げて行く者。死ぬ者、傷を負うもの。
目の前で繰り広げられる殺戮に、は固まる。
(見たことのない地に、世界に、踏み入ってしまった)
すると、の意識が入っている浪士が動き、一瞬で斬られ倒れる。も動けない。痛みはない、夢であるからだ。
剣の擦れあう音を聞くのみであった。しばらくして音が止む。
「総司!しっかりしろ!」
近藤の声が響く。は嫌な感覚に陥る。悪い事ばかり考える。周りの状況を知ろうと神経を研ぎ澄ました。
再び剣が交わる音がする。まだまだ浪士がいるようだ。
「大丈夫か、近藤さん!」
歳三の声がした。二階へ駆け上がってくる。そしてこの間へ入り、助太刀する。
は歳三の声で安心をした時、動いた。が憑依している者が立ち上がり、剣を振りかざす。
的は歳三の背中である。
(いやっ…)
にはどうしようもできない。剣が振り下ろされる、歳三の肩に食い込む。最も見たくはない、の地獄であった。
「いやぁああああぁああ!!」
一瞬で明るくなる。肩を揺さぶられていることにやっと気がついた。山南が心配そうにの顔を覗きこむ。
「君!大丈夫かい!」
意識がはっきりすると、は涙を流し、頭を抱えてうずくまっていた。震えが止まらない。手で顔を隠す。
「何があったんだい」
「…夢の中におりました。先日見た悪夢の中に、再び」
甦る失夢