(この喪失感はなに…?)
鷹司邸に攻め込んだ会津小隊の中には、黒谷へ何度か遣いを頼まれた際に知った顔もいたおかげで、は無事に開放されることができた。
少女の遺体を運び、鴨川へ流した。水葬の方法は知らない。ただ、この少女に大海原へ辿り着いてほしいとは思った。
まだ何も知らない、まだ何も経験せずに死んでしまったことへの哀れみを込めて。
帰るまでの道のりで、瓦礫の下敷きになっている人を助けたり、怪我をして動けないでいる人に肩をかしたりした。
屯所に着いたのは、丁度夕陽が沈む頃だった。報告のため、山南の部屋を訪ねる。襖に手をかけたとき、はふと思った。
(この両手で、あの人の大事な剣で、私は人を殺めた…)
手をかけたまま、襖を開けられずにいると、気配を感じとったのか、山南が襖を開けた。
「よく無事で帰ってきたね、君」
「お許し、ありがとうございました」
「中へ入りなさい」
誘われるまま部屋に入り、座る。途端に、今日あった出来事が頭の中で渦巻いた。もう二度と見たくない、人の死や燃え落ちる京の町。
いつの間にか震えていた体を、山南はじっと見つめていた。は深く息をつき、話し始めた。
少女のこと、人を殺めてしまったこと、久坂のこと、全てを。山南は何も言わず聞いた。にはそれがとても嬉しく、そして優しすぎた。
「…山南さんも、土方さんも、私を甘やかしすぎます」
「何故そう思うんだい?」
「私の愚かな行為に、優しく耳を傾けてくれているではないですか」
「…君は自分に厳しすぎるよ。もう少し自分を労わりなさい」
山南の柔和な笑みを見ると、は安心し、また涙を流した。今生きていることは、罪ではないのか。
「山南さんの剣を汚してしまいました」
「避けては通れぬ道だとは思っていたけどね。訪れるのが早かったな」
「…もう土方さんにあわせる顔がありません…」
「何故だい?」
「人を殺した汚い私を見せたくないのです」
山南は腕を組んで少し考えるような仕草をした。彼の顔を窺うと、少し呆れているように見えた。
しかし、の決意は固い。今までになく強い意志だと自分で分かっている。
「その瞳を見る限り、距離を置くつもりなんだろう?」
「はい。私の気がおさまるまで」
山南はまた優しく笑った。それだけでは救われたような気持ちになり、今日は悪いことばかりではなかったと思えたのだ。
(予想が当たってしまったよ、総司…)
○
あれから何日か経ち、近藤たちが戻ってきた。皆からはあまり覇気は見られず、ただ疲労が溜まっているだけのように見えた。
門前の掃除をしていたは、勇ましく帰屯した隊士たちに労いの言葉をかけ、迎えた。
歳三にも皆と同じように声をかける。歳三が返事し、の頭に手を乗せようとしたが、手が触れる瞬間に、の体が震えた。
途中で止められた手からは身を引き、何も言わず門の中に消えていった。歳三はの後姿を見ては途方に暮れた。
その一連を見ていた沖田は、二人の間にできた大きな溝が見えた気がした。
○
八月に入った。京の暑さは尋常ではないとは聞いていたが、想像していた以上だった。は屯所の門の前の道に打水をしていた。
この暑さでは、体調を崩すものも多い。がどうやったら患者が減るかを考えていた時、たったった、と一定の走る音が聞こえた。
その方向を見てみると、飛脚が現れた。その飛脚から一通の手紙を預かった。
宛先を確認してみると自分宛だったので、少し驚く。差出人はの父からであった。
は父と毎月一通ほど手紙で連絡を取り合っていたが、は先日送られてきた手紙の返事をまだ出してはいない。
なのに父から手紙がきたということは、何か急なことがあるに違いない。は掃除を手早く済ませ、自室に戻り手紙をあけた。
○
「私は江戸へ戻った方がよいのでしょうか?」
歳三は隊士を募るために江戸へ赴く計画について話し合うため、山南の部屋へ来た。が、中からの気配や話し声で、先客がいることを察する。
そして、中にいるのがだとも分かった。禁門の変の後から、とは必要なこと以外は話さなくなった。
が歳三を避けていることは、歳三自身がよく分かっている。あえて彼女に追求することはしなかった。
そのが、恋仲の自分ではなく、山南に相談事を持ちかけているのに、少し苛立った。
彼らの会話が続いているのにも関わらず、歳三は襖を開けた。
「山南さん、江戸での隊士募集について話したい」
「分かった。君がいても構わないかい?」
「あぁ。今の話を少し聞かせてもらった。、お前は江戸へ戻りたいのか」
「どうしようかと悩んでおります。祖母が危篤だと父の手紙に書いてありました」
「近藤さんが江戸へ赴くことになっている。それに先立って平助を明日にでも送り出す予定だ。
、お前はそれに同行して江戸へ戻れ。
そして、もし江戸に居たいという気が少しでも出たら、もうここには戻ってこなくてもいい」
歳三は少し冷たく言い放った。は目を見開き、すぐに決心したように歳三の目を見た。
(こうして目を合わせるのも何日ぶりだ…)
歳三は心の中でこう思っていた。少し意地になりすぎた、とも。
「…分かりました。藤堂さんについて行きます」
「平助には話をつけておく」
「ありがとうございます」
一礼して、は部屋を退出した。歳三は小さく一息ついた。山南は眉間に皺を寄せ、腕を組んでいる。
「分からないな。何故あんな言い方をしたんだ」
「…もうはここに戻ってこないかもしれねぇのに、あいつは必ず戻ってくると信じているのかもな」
「君達二人は、本当に似ているよ…」
今度は山南が溜め息をついた。歳三はいつになく弱気な心であった。
○
「ちゃん、準備は大丈夫?」
「はい。そろそろ行きましょうか」
「そうだな。じゃあ行ってきます、局長、副長」
「あぁ、よろしく頼んだ」
藤堂とが江戸へ出発する日、近藤と歳三が門まで見送りに来た。
近藤は笑顔で、歳三はいつもと変わらない冷ややかな目だが、どこか寂しい色も見えた。
歳三とは見つめ合う。最後を惜しむかのように。
「行って参ります」
惜別の旅立ち