「伊東先生歓迎の意も込めて宴を開こうと思う」
近藤がこう提案したのは、伊東が入隊してから一月ほどたった頃であった。
伊東も新選組に少しづつ慣れ始めていたので、反対する理由はなかった。
近藤は歳三に店の手配を頼んだ。
歳三は乗り気ではなかったが、隊士の息抜きだと渋々自分に言い聞かせた。
「私も行きたいなぁ」
「総司、お前は寝ていろ」
沖田の部屋を訪ね、宴の話をすると、駄目を承知でそう言ったのだ。
沖田はこのところ体調が優れないことが多くなっていた。
季節の変わり目であるからと本人は言っているが、歳三は疑っている。
「私も遠慮しておくよ。屯所の留守を受け持とう」
先に訪れていた山南も本調子ではなく、皆で飲み、騒ぐ気分ではないようだった。
歳三は何も言わず了承した。
○
「伊東先生始め、江戸で志願してきた者が入隊し時が経った!皆、今宵は騒げ!」
近藤が持ち前の大声で宴の始まりを言い放ち、隊士たちは一斉に飲み始めた。
歳三は近藤の右隣に座り、左隣には先日‘参謀’という役目を仰せつかった伊東が座っていた。
「近藤先生、まずは一杯」
「伊東先生すまないな」
このやりとりを横で見ていた歳三は、近藤が伊東を参謀に指名した時以上に伊東を怪訝に思った。
「土方はん、どうぞ」
花君太夫は土方の猪口に酒を注いだ。歳三は酒に弱いが、この花君太夫はそのことを知っている。
それ故、注ぐ加減が分かるだろうと歳三は気を許していた。
宴は酣になり、数人の隊士は中心で踊っている。
近藤と伊東はそれを見て笑い、歳三は二人を見て眉を寄せた。
しばらくすると酔いつぶれる隊士が多くなった。歳三ももう酒には手を出していない。
「土方先生」
襖の向こうにいる店の者の下へ歳三が行くと、一通の文が渡された。
屯所から誰かが届けさせたらしい。字は確かにのものだった。
山南あたりが気を利かせて届けさせたのだと、歳三は思った。
歳三が席を立ち、近藤が隊士達と混ざって腹踊りをしている時、伊藤は近くにいた隊士に尋ねた。
「土方君はよくここを利用するのかい」
「はい、以前はよく利用されていたと思いますよ」
「以前は、というと?」
「今は恋仲がおられます故」
「ほお」
「屯所に女中として働いている方です。今は江戸に帰省中ですが」
伊東はすぐにのことを言っているのだと分かった。
その後、花君太夫を呼び、耳打ちをし二言ほど何かを言った後、いいね、と念を押した。
歳三が席に戻ってきた。心なしか先程より少し顔が緩んでいるのを窺えた。
伊東は花君太夫の背中を軽く押した。
「土方はん、ちょいとこちらへ」
歳三は少し怪しみながらも彼女の後について行き、部屋に入った。
「ここなら文を落ち着いて読めますやろ」
花君太夫は行灯に火をつけながらそう言った。確かに静かなこの部屋なら文もゆっくり読めるだろう。
しかし歳三は、花君太夫の行動が理解できなかった。
「誰に何を頼まれたんだ」
「…伊東先生にお相手をしろと」
ようやく辻褄が合い、歳三は溜め息をついた。
何を企んでいるかは分からないが、面白がっていることは分かる。歳三はそれが気に障るのだ。
「すまないが、お前と寝る気はない」
「…確かに伊東先生に頼まれましたけんど、私の望みでもありんす」
過去に何度か体を重ねたことがある。それはと恋仲になる前のことで、しかも歳三に愛は無かった。
しかし、花君太夫には愛があるのだ。体を寄せて、腕を絡めてくる。
熱く見つめるその視線には、歳三に嫌でも愛を感じさせた。
「俺はお前を抱いても、他の女のことを考えてしまう」
「それでもええんどす」
そして歳三は気づいていた。花君太夫は顔や雰囲気が何処かに似ていると。
(俺を許すな、…すまない)
歳三は自ら禁忌へ倒れていった。
○
「朝帰りなんていつ振りでしょうね」
翌朝、屯所に戻ると沖田が少し呆れたように言ってきた。
歳三は何も言わず自室へ入った。自分でも愚かだということは分かっている。
昨日受け取ったの文を開いた。入り乱れた時にできた皺を見て眉を寄せる。
内容は近況報告であった。剣術を頑張っているだとか、元気であるだとか、ありふれた話でも嬉しかった。
しかし、こんなにも純粋な内容が歳三へ後悔の情を誘うのだ。
(それでも、は俺を慕ってくれるのだろうか)
○
「もう行くのか、」
の祖母の四十九日の法事が終わり、旅の支度をしているに守遥が話かけた。
守遥にはが早く京へ戻りたいように見えて、少しだけ残念に思ってしまった。
「明日には出立するわ」
「本当に行くのか…」
「…待ってる人がいるから」
その時のの顔は本当に美しいと守遥は思ったのだ。
「…俺は、」
そこまで言って止めた。は何も追求しない。そういうところが、好きだった。
「帰ってきたら聞かせてちょうだい、守遥」
○
「ただいま戻りました」
近藤に挨拶し終わった後、は山南の部屋を訪れた。
歳三は黒谷へ出向いているらしく、留守だった。
「何だかまた凛としたようだね」
「…そうでしょうか」
を見て、山南は試練を一つ乗り越えると、人は強くなるものだと確信した。
しばらく話していると伊東が訪れた。は再び挨拶をし、退室しようとしたが止められ、そのまま三人で話をした。
「そういえば、くんは土方くんと恋仲だそうだね」
「そのようなたいそうなものでは…」
「しかし…そうとは知らず…私は島原で悪いことをしたな…」
山南はまずい、と直感的に思った。伊東はわざとそう発言しているのだ。
の顔が明らかに曇ったのを確認できた。
「さん!土方さんがお帰りになりましたよ」
沖田が謀ったわけではないだろうが、助け舟を出してくれた。
はあの表情のまま部屋を出て行った。山南は不安でしかなかった。
「!」
「…歳三さん」
が廊下を歩いていると、歳三が背後から呼びかけた。
振り向いたの表情を見た瞬間、歳三は何かを感じとった。
歳三も自分では気づいていないだろうが、顔を引きつらせ、と同じ表情になりかけていた。
「無事でなによりだ」
歳三が頭に手を乗せようとすると、は身を引いた。あの時と同じだ。何も変わっていない。
(これは俺への罰だ…)
歳三はそう自分に言い聞かせ、惜しむように腕を下ろした。
は歳三の目をただ見つめて、涙を浮かべていた。
「ごめんなさい」
再開の罰