「いらっしゃい」
歳三が山南の部屋へ赴くと、先客として伊東がいた。伊東が入隊してからというもの、同じように学のある山南の部屋に入り浸り、今後のこの国についてだとか、尊皇だとかを話し合っているようだ。山南も楽しそうに会話をしているため、何も言えなかった。
歳三は初めに会ったときから、伊東のことが気に入らなかった。貪欲に未来を見つめる目を嫌ったのだ。
近藤は、その愚直さ故に伊東のあの目にとり憑かれてしまったのだ。
そう歳三は思い、これから訪れるであろう波に腹を括っていた。
「すまなかったね、土方君」
「何の話ですか」
「島原の時の話をくんにしてしまったのだよ」
伊東は悪気もなさそうな表情で言った。歳三は怒りを覚えた。
しかし何も言わない。悪いのは自分だと強く思っているからだ。
その島原での出来事は事実である。嘘ではないのだ。
(罪は罰せられる、当たり前のことだ)
○
「君、この頃調子が良くないようだが」
が久方ぶりに山南の部屋を訪ねた。
は京へ帰ってきたものの、どこか気落ちすることが多くなっていた。
それも歳三が理由ではあるが、は決して彼を攻めるのではなく、自分に全ての悪因を見出したのだ。
「土方君とのことだろう」
「…あの人は月のような存在。月は誰のものではないのです」
「君がそれでいいなら私は何も言わないが。…どこか辛そうだ」
「全ては私の罪が故でございます」
「…きっと土方君も君と同じように思っているのだろうね」
山南は息を吐いた。互いに想い過ぎているからこそすれ違うのか。
二人に罪はないというのに。男と女の定めなのか。山南の心にも一人の女が思い浮かんでいた。
○
「山南さんの部屋に茶を二つ持っていってくれないか」
原田にそう言われ、は少し急いで茶を淹れた。
は山南の部屋への訪問者が歳三だとおおよそ予想できた。
ここ数日は毎日山南の部屋へ歳三が行き、何か大事な話をしていた。
「それは駄目だ。他を考えよう」
「何故だ!西本願寺は長州者を匿ってんだぞ!」
「西本願寺は由緒正しい寺院だ。私達が入っていい場所じゃない」
「これしか道はない」
「いいや、もっと他を…」
「いい加減にしてくれ!何度同じことを言えばいいんだ!」
「私にも譲れないものはあるんだ!」
は部屋の少し前で思わず足を止めた。あの穏やかな山南が声を荒げるところを始めて聞き、ひどく驚く。
議題は屯所の移転の話であった。江戸で募った隊士も加わり、新選組の人数はかなり増えた。
八木邸や前川邸だけでは足らなくなってきているのだ。
そこで歳三は、以前から長州の怪我人などを匿っていると疑われていた西本願寺を屯所にしようと考えた。
しかし、山南はそれに反対した。
歳三は山南がこれほどまでに反対することは今までになかったため、少し躊躇ったが、自分の考えを引くことはなかった。
その後、歳三は何も言わず、乱暴に障子を開け、すぐ傍にいたに気づくと、
何処かばつの悪そうに表情を崩し、その横を通り抜けた。
が呆然と立っていると、山南が入室を促した。
「見苦しいところを…すまなかったね」
「いえ…お二人ともそれだけ新選組について真剣に考えていらっしゃるのですね」
「…本当はもっと話し合いたいのだけれど…昔からなんだ、いつもこうやって意見が食い違ってしまう」
「似たもの同士なのではないでしょうか」
「だと…いいんだけどね」
二人はお互いを知りすぎ、そして思いすぎてこうして反発しあうのだとは感じた。
と歳三、歳三と山南との関係は、同じような状況であった。
○
「土方さん!山南さんの部屋に行ったら机上にこれが!」
元治二年二月二十二日、沖田が血相を変えて歳三の部屋へ転がり込んだ。
彼曰く、山南の自室は荷物が全て片付けられていたという。
歳三は嫌な予感を抱きながらも、書簡を開いた。
‘ふと江戸が恋しくなりました。あの日来た道を遡って行きます’
この文章を読み終わった時の歳三の顔は恐ろしいほどに凍っていただろう。
沖田は心配そうに歳三の指示を待っていた。
「……お前はこの文を隠そうとしたか」
「……はい」
沖田は少し間を置いたが、目は真剣に答えていた。歳三は何も攻めない。
ただ頭の中でぐるぐると巡る思いや考えを整理するのに少し時間がかかった。
「総司。お前に許可を与える。明日の正午までに山南さんを連れ戻せ」
「…分かりました」
総司は、歳三が指示を言い終わるまでしっかりと彼の目を見て探っていた。彼の本意を。
そして何かを読み取り、その命令に従った。
「、お前はどうしたいんだ」
部屋の外で全てを聞いていたが、顔を出す。その表情は悲痛でしかなく、しかしその目は何か力に満ちていた。
「…行きたいのならば行け、許可を出す」
は礼をいい、深く頭を下げた。勢いよく踵を返すに、歳三は声をかけた。
「落ち着いて行けよ、」
「…あなたもだいぶ顔色がお悪いです…気を確かに…」
行って参ります、との凛とした声が部屋に残った。
歳三は思っていたより自分が動揺しているのに驚いた。
山南がこうなることを予測していなかったわけではない。
戸惑う自分に嫌悪感を抱いた。
○
「沖田さん!私も一緒に参ります!」
沖田は馬を小屋から出し、出立するところであった。
何も言わずに自分の後ろに乗るように指示し、馬を走らせた。
「出来るだけ早く走らせます。腰に手を」
言われたとおり腰に手を回した。その自分の手が、小刻みに震えていたのをその時知った。
馬の蹄が地面を蹴る音。聞こえるように沖田は大声を上げた。
「土方さんは、山南さんが見つからなければそれでいいと思っていますよ」
あの手紙には道順さえ書いてあった。本気で逃げようとしているものが、道筋を教えるわけがない。
絶望が沖田とに圧し掛かった。馬はそのまま勢いよく走る。
二人はこのまま山南が見つからなければ、という思いが心にあった。
「けれどあの人は気づいているはずです。山南さんは最初から死ぬために逃げたと」
未来からの逃落