「総司、君!こっちだ!」
大津へ入りすぐの茶屋で山南はあっけなく見つかった。
まるで沖田とを待っていたかのように、穏やかに手を振っていた。
山南は団子を追加し、二人を座らせた。
「愚かだと思うかね」
「いいえ」
ははっきりと答えた。山南はいつものように優しく笑い、団子に手をつけた。
「山南さん、これからどちらへ?」
「屯所に戻るよ」
恐る恐る沖田が聞いた。は心の中で憶測と違う答えを期待したが、それは叶わなかった。沖田も同じだったに違いない。
この人は死ぬのだ。武士として。
「土方さんから一日暇を頂いたんです。ここで泊まりましょう」
「それもいいね」
三人は日帰りの距離の大津であえて一泊することにした。
旅籠の暖簾をくぐり、飯盛り女に風呂を勧められた。
山南は一人でぼんやりしたいと言った。と沖田は断る理由がなかったので、風呂に行った。
女の方が風呂が長いが、沖田はを待っていた。特に会話もなしに廊下を歩く。
部屋に入ると山南は机に向かって文を認めた後であったようだ。
「丁度書き終わったんだ。これは局長に、これは平助に、これは総司に、これは君に」
淡々と文を差し出す山南に迷いはないようだ。二人は黙って受け取る。
「そしてこれは…土方君に。死んでから開けるんだ。いいね」
歳三宛の文はへ渡った。は涙を堪えるのに必死であった。山南は少し微笑んで、二人をゆっくり見た。
「君はどうする。男二人と同じ部屋は嫌だろう」
「…お二人が嫌ではないのなら、ご一緒でも」
「今日ぐらいは川の字になって寝ましょう!」
三人は親子のように笑いあった。横になり、山南は唐突に昔の話をした。
「子供の頃は無口で、学問の方が好きだったよ。
だが、剣術に出会い、のめり込み、いつしか仲間が増えていった。
毎日が本当に楽しかったよ」
山南は試衛館の頃の話を多くした。の知らない歳三の過去は、とても新鮮であった。
山南は新選組やら攘夷やら尊皇やらの話は一切しなかった。二人は常に心に温かいものを感じながら聞き役を全うした。
○
翌二十三日、沖田とは山南を引き連れて帰屯した。土方は山南と対面し、渋い顔をしていた。
部屋には近藤を始めとする幹部が集結していた。
「山南総長は昨日、脱走を謀った。故に切腹に処する」
「おい!それはないんじゃねぇのか土方さん!」
「山南さんは連れ添った仲間じゃねぇのか!」
「例外は認められない」
原田や永倉が反論した。しかし、皆分かってはいるのだ。
一度例外を出すと後が立たない。
山南は自分を利用してくれとでも言うように、自ら証拠になろうとしているのと同じであった。
皆黙り込む。この重い沈黙を感じ、山南はどう思ったのだろうか。
○
夕刻に差し掛かった頃、沐浴した山南が前川邸の一室に通された。山南直々の願いで、介錯人は沖田となっていた。
白無の小袖と、浅葱色の裃をしっかりと着込んだ山南の表情はどこか柔らかかった。
幹部達が部屋に入ってくる。緊迫した空気の中に響く声がした。
「山南はん!山南はん!」
この部屋にある格子戸から取り乱した女が山南を呼んだ。島原の天神、明里である。
泣き腫らし、懸命に山南を見つめる。山南は今までになく悲しげな表情に変わっていた。
「明里、何故…」
「山南はんは今から楽になりはるんやろ…?」
「ああ。すぐに楽になるよ」
「…明里は嬉しいでありんす…山南はんの苦しみがなくなるのなら」
格子越しに二人は笑いあった。これを見ては静かに涙を流していた。
の留まることのなかった山南への後悔が、この二人の穏やかな表情を見てすぐに消え失せた。
ふと歳三がの頭に手を乗せた。久しぶりのこの感覚に、はまた涙を流すのだ。
誰も明里を追いやる者はいなかった。彼女は気丈であった。
山南が自分の腹に刀を突き刺し、首が刎ねるまで全てを見ていた。
はその明里の姿を見て、感銘を受けた。女はこれほど強い生き物なのだ。そう感じた。
沖田が一礼し、退室する。しばらく経ってから、が出て行き、自室で思いを巡らせた。
優しく接してくれる山南を、時には父と重ねることもあった。
そんな山南はもういないのだ、この目で最期を見届けたのだと思うと、虚無感が体を走った。
ふと文のことを思い出した。引き出しから取り出し丁寧に広げる。
山南の柔らかな文字が余計に涙を誘った。
内容はただただ長所と感謝を述べているばかりであった。
‘土方君と恐れずに話し合いなさい’
この一文で、今まで悩んでいた全てが消え去った。
自分でもどれだけ時が経ったのか分からなかった。しかし、急に夕餉を作りに行こうと思い立った。
自室を出て廊下を歩いても、何事もなかったかのように普段と同じであった。
夕餉を作り、膳を運び、片付ける。の心も何故だか晴れてきていた。
全ての役割が終わり夜、静かな廊下を一人歩き、歳三の部屋まで行く。
もう躊躇わずに会うことが出来る。こんなに簡単なことが出来なかったのが不思議で仕方なかった。
「歳三さん、山南さんから文を預かっています」
文を差し出すと、歳三はひどく驚いていた。しばらくは受け取らずにじっと文を見つめていた。
文を手にしてゆっくりと開く。
は邪魔しないように退室しようとしたが、歳三が文を朗読し始めたのを聞き、動きを止めた
「君が言うには、私達は似た者同士らしい。
いかにも、同じように頑固で、同じように新選組みを考えていたに違いない」
は歳三の隣へ座った。彼の目からはらはらと涙が伝っているのを美しいと思いながら見つめていた。
「本当は君とは言い争いはしたくなかったよ。
穏やかに、試衛館の時のようにのんびりと将棋でもさしたかったさ。
ただ、言いたいのは、私は君が故に死ぬわけではない。
私のことは忘れてしまいなさい」
は手ぬぐいで歳三の頬を拭いた。歳三は一点に手紙を見つめ、それから目を瞑った。
「俺は…山南さんとは心が通っていないと思っていた。しかし、違ったんだな」
「貴方たちはただ、互いを思いやるあまりに傷つけていたんでしょうね」
歳三は流れる涙をそのままに、目を開け、の肩を抱き寄せた。
「お前が山南さんの元へ行くと頷いた時、俺は自分の中で沸き立つ嫉妬を懸命に抑えていた」
「…それは嬉しいですね」
は歳三の体に体を寄せて笑った。
「山南さんには死ぬ意味があったのです。そして土方さんには生きる意味が。
山南さんは何のために死んだか、貴方は何のために生きるのか…
どちらも新選組のためでしょう?想いは同じだったのです」
貴方は自分を憎んで殺してしまいそう。そう消えそうな声で囁いて、も涙を流した。
歳三は一層を抱く腕の力を強め、頬を涙で濡らした。
「…俺は山南さんを友と呼んでもいいのだろうか」
「山南さんは既に歳三さんのことを友と呼んでいたと思いますよ」
は顔を上げ、歳三をしっかりと見、笑った。そうだな、と歳三も笑った。
○
翌日には山南の葬儀が執り行われた。伊東は四首の歌を詠んだ。
春風に吹き誘われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな
吹く風にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし
は決して泣かなかった。もう泣く意味がないと思ったからだ。
光縁寺に埋葬された山南を、静かに見守った。
その次の日から、は毎日暁の光が差す頃、山南の墓へ行くようになった。
水を換え、花を換え、線香を焚く。の中で秘かにこれを続けることを決心したのだ。
「また来ているのか」
「歳三さんも、暇さえあればいらっしゃっていますね」
歳三は何も言わず、の横に並び、目を伏せた。
はそのまま墓石を見つめる。山南さんは嬉しいに違いない、とは顔を綻ばせた。
「一句出来た。聞いてくれるか」
「豊玉宗匠のものでしたら喜んで」
歳三は少し眉を寄せたが、一度深く息を吸い、句を吐いた。
「梅見月 梅より先に 君が散る」
瞬間、もう決して泣くまいと決めていたの瞳から涙が溢れた。
何故だか分からないが、今までの出来事が再び頭に過ぎり、悲しいのか悔しいのか分からない涙が次々と頬を伝った。
力なく座り込み、顔を手で覆い、声を上げて泣くを歳三は再び抱きしめた。
「もうこれきりにしろ、。山南さんが困るだろ」
暁光のぬくもり