赤い 紅い 朱い
これはきっと血だ
つい先刻までは生きていた血
息をし、感情があったはずの‘人’の中に流れていたもの
それが目の前に見える
一つの湖のように溜まる
血の赤に白い雪が降り注いでいた
再び見る、恐ろしい惨劇
○
「土方さん、少しお話があります」
店を出て少ししたところで私は声をかけ、立ち止まった。土方さんは二、三歩進んで振り返った。
「昼食が済んだ後、いいですか」
「あぁ。俺の部屋に来い」
そう言って彼はは歩き出す。屯所までのあの複雑な道のりを私達は何も話さず歩いてゆく。この沈黙を嫌だとは思わなかった。
屯所へ着いても一言も話さず、私は台所へ、土方さんは自室へと向かった。
庭では隊士達が稽古に励んでいる。もうすぐその稽古も終わり、隊士達が腹をすかせて集まってくることを考え、少し急ぎ気味で廊下を歩いた。
広間に食事を並べ終えた頃、稽古や巡察を終えた隊士が次々に戻ってきた。よく隊士達を見ると、ところどころ怪我をしているようだ。
手当てが面倒なのか乱雑で、小さな傷も逆に目立っていた。私は少し渋い顔をした。
「さん、何を買いに行ったんですか?」
「着物を。私が悩んでいたら土方さんが選んでくれたんですよ」
「あの土方さんがですか。平隊士が聞けば狼狽するでしょうね」
「そんなに意外ですか」
「何せ鬼の副長ですからね」
沖田さんは含み笑いをして、おかずに手をつける。
「そういえば、その鬼副長が来てませんね」
「そうですね。自室にいらっしゃると思いますが」
「持っていってやったらどうですか」
「そうですね。行ってきます」
土方さんの分の食事を持って彼の自室に向かった。
「失礼します。食事をお持ちしました」
「入れ」
今朝とは違って返事があることに、少し笑ってしまった。それを見た土方さんは眉を寄せた。
「食事が終わったらまた参ります」
「あぁ」
一旦広間に戻る。空になった食器を片付ける。全て洗い、棚にしまった後に自分の食事に手をつけた。一人で食べる食事は慣れている。
幼い頃から一人で食べる機会は多かった。その分、たまに父と一緒に食べる食事がとても楽しかったのを覚えている。今もその時と同じだと思いながら食べた。
自分の分の片付けも終えて、土方さんの部屋へと向かう。
「です、失礼します」
両手で襖を開ける。食事を終えたようで、膳は横に置いてあった。彼は朝と同じように書物を読んでいた。
「片付けてきますね」
「後でいい。話せ」
土方さんは机から離し、私の方へ体を向けた。私は正面に座り、ゆっくりと話し出した。
「二月前、向かいの前川邸で人が死んでいますよね」
「あぁ」
「何故、とは聞かないのですか」
「それも踏まえて、今から話すのだろう?」
土方さんは机に片肘を置いて、頬杖をついた。聞く態度としては良くはないだろう。でも聞いてくれるだけ、嬉しかった。
「芹沢鴨一派が殺された。下手人は長州。それは表でのこと」
その言葉を聞いて土方さんは頬杖をとき、睨む様に私を見た。
「本当は土方さん、あなた方が下手人ですよね」
「…何故それを知っている」
「夢で見たのです。私の夢は現実に起こるのです」
「正夢、か」
「はい。私が見る夢はどれも悲しいことばかり。戦、人斬り、火事、地震。黒船が来る時も夢を見ました。
まだ十の時だったので意味が分からず、だた父に夢の話をしただけでした」
一旦話を止めた。土方さんの顔を窺うと、疑ったような目で私を見ていた。
「その夢の中で、人を殺している俺の姿を見たのか」
「はい。沖田さんや局長も見ました」
「…お前の言っていることは正しい。信じよう」
「ありがとうございます」
私は両手をついて頭を下げる。上から土方さんの声がした。
「だが、その能力の話だけをしに来たわけではない、何か見たのだろう?」
「昨晩、誰かが切腹をしている夢を。顔は見えませんでした。でも土方さんの姿は見えたような気がします」
「新選組の中での切腹だと言いたいのか」
「はい。近いうちに…雪の降る日に誰かが」
「頭に入れておこう。だが、俺が誰かを切腹させるために動くわけではない」
「局中法度、ですね」
新選組には‘局中法度’というものがある。そこに決められた規約を破ると幹部であろうが例外なしに切腹という恐ろしいものだった。
一番厄介だと思ったのは、「士道に背きまじきこと」。‘士道’とは具体的には何なのか決められていない。
人それぞれ思っているものは違う。想像の、形のない‘士道’というものが隊士を縛っている。
「ここでは局中法度が絶対だ。切腹する奴が勝手に法度を破っただけの話。時期が来れば分かることだ」
私の話に関心が無いように見えた。わざとそうしているようにも。
「この夢が役に立ったことがありません。何かできることはないでしょうか」
「夢を見たら、俺に報告しろ。役に立つこともあるだろう」
「はいっ」
この悪夢が人の役に立てる、そう思うととても嬉しくなった。心から笑った。私が返事をした後に、土方さんは何故かまた頬杖をつき、横を向いてしまった。
少しの間があった。
「お前は、そんな悪夢を見るのに辛くないのか」
いつの間にか土方さんは私を真っ直ぐ見ていた。私の目を瞳をしっかり見ていた。
「朝起きるととても恐ろしいです。けれど、慣れました」
私も土方さんの目を見る。彼の瞳の奥には何かが揺れ動いている、そんな気がした。
「今は慣れた私自身が、一番恐ろしい」
自分でも顔が青ざめていくのが分かった。
「いつか」
不意に彼が口を開く。私のこんな姿を彼はまだ見ている。瞳を見ているのだ。
「いつか、良い夢を見られるさ。」
哀しい夢