「さん、刀は持たないんですか?」
「女子が街を歩いていて腰に挿していたら変ではないですか?」
「そうですかね?もったいないですよ。あんな良い腕をしているのに」
「私は真剣ではなく竹刀で強い相手と戦えれば十分なので」


沖田さんが小石を蹴る。屯所の前に差し掛かっていた。


「今からの稽古に参加できますか?一手お願いします」
「ええ、もちろん。着替えてきますね」


自室に戻り、着替える。昨日呉服屋で注文した道着はまだ届いていないので、当分は沖田さんの道着をかりることにしていた。 深い青の衣を身にまとう。この色は心を落ち着かせる色だと思った。


「お待たせしました」


稽古を行っている中庭へ出た。先程まで町娘に流行の髪型だったが、動きやすいように一度解いて高いところで一本に結い上げた。


「雰囲気が変わりますね。凛としていて、いかにも強そうだ」


私は苦笑して沖田さんと向かい合う。いつの間にか周りには見物客として隊士が集まり、藤堂さんや永倉さん、原田さんといった幹部も混じっていた。 面、籠手をつけ深呼吸をする。竹刀を握り、構える。沖田さんを見ると体中が、先程とは全く違う雰囲気に包まれていた。


「どこからでもどうぞ」


その言葉を聴いた瞬間、恐怖が脳から足先まで駆けた。今までに感じたことのない感情に、気が滅入る。足を一気に踏み込むが、勢いがつかない。 その後、私がどう剣を振ったのか、どう打ち合ったのか全く覚えていなかった。









意識がはっきりすると、布団の中だった。土方さんの声が横から聞こえてくる。


「医者に診てもらった。疲れが溜まっていたそうだ。お前、江戸から何日で京まで来た?」
「…十七日です」
「十七日?男で十五日はかかるぞ。女子はせいぜい二十日はかかるだろう」
「早く着きたいがために少し急ぎました」
「何故疲れを隠していた」
「隠していたわけではないです。疲れを感じなかったんです」


土方さんは私が寝ている布団から一歩ほど離れたところで、胡坐をかいて座っていた。


「お前が何故そんなに新選組にこだわるのか、理解できない」


私は天井を見つめ、言葉が出てくるのを待つ。


「私は、ずっと誠の武士が見たかったのです」


土方さんの方へは向かず、ただ上を見続け、話し出した。


「新選組の話を聞いたとき、正にそうだと思いました。
 武家からの出ではなく、田舎道場の主、浪人、農民からなる集団。
 差別されていた者が、今は不逞浪士を取り締まり、会津のため、幕府のため、将軍のため働いている。
 これは武家や幕臣がしていることと同じ、またはそれ以上だと思います。
 武家に生まれたから武士になる。流れで武士になった者より、はるかに武士らしい。
 死ぬ覚悟がない者は、武士とは呼べない。
 私はそう高く理想を持っています」


ゆっくり、吐き出すように話した。長い話だったが、土方さんは何も言わずに座っていた。私の方を見ていたのかは分からない。 急に眠気が襲う。目蓋が上がらない。意識が薄れる。


「とにかく休め、」


彼の低い声が落ちてゆく意識の中ではっきり聞こえた。









「土方さん、ちょっといいですか」


の部屋を出た歳三に、縁側に腰掛けていた沖田が声をかけた。


「さん、大丈夫でしたか?」
「あぁ。今は寝ている。お前もあれほど殺気を出す必要なかっただろ」
「刀を握ると自然となってしまうみたいです」


沖田が苦笑する。歳三が沖田の隣に座った。


「さんは、流石道場主の娘ですね。剣の筋はとてもいい」
「ただ…迷いがあるな」
「御名答。やはり見ていれば分かりますか」
「昔のお前みたいだからな」


沖田はそう言われて少し頬を膨らませていたが、すぐに戻る。


「報告だけです。私は何もしません。土方さんが行動を起こすかは知りませんがね」


立ち上がり、笑いながら片手を挙げ、廊下を歩いていく。歳三がこの後どうするか分かっているようでもあった。


(あいつには剣の腕も、根性も、気品もある。だが、迷いもある)









宵になり、歳三はの部屋に再び訪ねた。彼女は既に起き上がっていた。


「お前の剣には迷いがある」
「…その通りです。私には迷いがある」


は、下を向き、両手を握り締める。


「剣は好きです。でも人斬りは嫌い」
「剣は人を斬るものだろう。そうでなきゃあ何だってんだ」
「違います!剣は人を斬る道具ではありません。もっと他の…」


は閉口してしまった。歳三は呆れ顔でまた問う。


「何故お前は剣を握るんだ?道場主の娘だからか?」
「違います」
「何故京に来たんだ?親に言われたからか?」
「違います!」


俯いていたは涙を零しながら歳三を見上げる。距離が意外にも近くて驚く。


「俺は、武士になるために京へ来た」
「私は…女子なので武士にはなれません」
「じゃあ何をしに来たんだ。飯を作る為に遥々来たのか?」
「…私はきっと時代の中心に居たかったんだと思います」


歳三がを凝視する。少し驚いたような顔にも見える。


「今は京が時代の中心です。その中で味わいたいんだと思います」
「何をだ」
「生きてるってことをですよ」


二人が話し始めてから初めてが笑った。


「父はいつも私に‘生き延びろ’と言います」


竹刀だこで埋め尽くされた小さな両手を胸の前で握り締め、自分の言った言葉を噛みしめるように目を閉じた。


「そんな事を言うので、最初、剣は自分の身を守るためだけだと思いました。
 しかし最近分かり始めたのです。
 自分の身を守りながら、命を感じるものだと」


一息おく。両手が震えていた。我慢していたものが溢れ出している。


「そういうことが、命という尊いものを奪う新選組に来て分かったのです」
「…お前、人を斬ったことがあるだろ。いつ斬った」


図星だったは目を見開く。そして斬った時の感覚や場面を思い出したように青ざめた。


「十七の時に、江戸で。男に襲われ、その男が持っていた刀を奪って斬りました」
「その後は」
「返り血を浴びたまま道場に帰りました。父に事情を話しましたがその時は何も言いませんでした」
「その時?」
「後に聞いたのですが、母も私を生んだ後、同じように男に襲われ命を落としたようです」
「母君はいなかったのか」
「はい。顔を見たことはありません」


(こいつは大した女だ)


「襲われる時にも夢を見ていました。それで初めて私の夢の力を確信したのです」


静寂が二人を包む。が大きく息を吸い、吐いた。


「あなたは幕府や長州がどう動いてもいいとお思いでしょう?」


は、先程までの乱れた心が一変したかのように穏やかな面持ちになり、上品さの漂う遊女のように感じた。笑いながら言う。


「新選組を強くさせることしか頭にないのでしょう?」


歳三は初めて、何もかも見抜かれたような感覚になった。試衛館以来の同志、ましてや近藤にさえも見せたことのないような顔をした。 まだ会って数日という女に、自分でも気付かないようなことを指摘され狼狽する。


「そうかもしれねぇ。副長として不謹慎だな」
「一つのものを創り上げる。とてもいい思いですよ」


歳三が弾かれた様にを見た。は不意のことにたじろぐ。


「お前はいい女だ」


言葉をゆっくりと発した。歳三は思ったことをそのまま口にし、普段の自分との違いに驚いた。 それが伝わったのか、は笑って誤魔化すでもなく、頬を少し染めて俯いた。また涙が滑り落ちていた。


「その言葉が今までで一番嬉しいです」






夜にとける