「決めました。もう迷いはないです」


少しの沈黙に、程よい時が過ぎた頃、私は口を開いた。


「私は、目の前のことを、ひとつずつ片付けることしか出来ません。未来を考えることも出来ないのです」
「それでいいじゃねぇか。時代の流れは速い。だが時の流れは皆同じだろう」
「その通りですね」


時代の流れ、時の流れ。目には見えないものに私は囲まれている。続けて話した。


「私は剣で、医学で、些細なことで大勢の人を守りたい。
 そんな大きなことは出来ないので、せめて新選組の中だけでも。せめて土方さん、貴方だけでも」


土方さんの深い黒の瞳を見る。先日、彼がしてくれたように。


「私は貴方を守る。貴方についていく。ひとつひとつ片付けながら、とりあえず貴方についていきます」
「いい選択だとは思えねぇな。これからこの国は戦になるだろう。新選組は、俺は戦う。
 それでもお前はついてくるのか」
「未来はどうでもよいのです。今がよければ。その時の決断で未来なんて変えられるのですから」


彼の瞳は見ているほど吸い込まれていくようで、暗闇のように黒い。彼もまた私の瞳を見ていた。









「ちゃん、もういいのか?」


翌朝。朝稽古が終わり、隊士達が朝食を食べている時に藤堂さんが心配して話しかけてくれた。


「ええ、もう大丈夫ですよ」
「早く戻ってきてくれてよかったぜ。男の飯は上手くないからな」


その話を聞いて、周りの隊士が笑い出す。今日も朝から賑やかだった。


「さん、すみませんでした。無理を言って稽古に出させてしまって」


沖田さんが頭を下げて謝る。新選組の幹部にもなる人が頭を下げるところなど、見てられなかった。


「頭を上げてください。私が体調も考えずに稽古に出たのがいけなかったんです」
「でも…」
「昨日の稽古、あまり覚えていないのですが、楽しかったですよ。またお願いしますね」


自分がどんなに小さなことでも求められていることがとても嬉しかった。そして、私なんかを気にしてくれることが何より嬉しかった。









私が倒れてから何日か経ったある日の話。


最近、土方さんは自室にいることが多くなった。食事も自室で食べ、何処かへ出かけるわけもなく、黙々と机に向かって何か書いていた。 時折、廊下で立ち止まり、庭の木を眺めていたりしているのを見かける。原田さんに尋ねてみると、雰囲気がいつも以上に恐ろしいのだと言う。


「よくあんな土方さんに毎日飯を持っていけるなぁ」
「そんなに恐ろしいでしょうか?逆に穏やかな気がするのですが」
「あれが穏やかなわけあるかよ!絶対何かあるぜ。戦が始まるのかどうなのか…」


そう思っているのは原田さんだけではなく、隊士達のほとんどは同じように思っているらしい。ただ、沖田さんは違った。


「ああ、あれですか?さん、土方さんが何をしているのか気になります?」
「まあ、気にならないこともないですが…」
「とりあえず土方さんの部屋に行きましょう」


沖田さんは楽しそうに廊下を歩いていく。私はその後ろを特に何も思わずについていった。


「土方さん、入りますよ」


土方さんの部屋に着いて、沖田さんは返事を聞く前に襖を開けた。親しき仲にも礼儀あり。この言葉が今の状況にぴったりだ。


「あれ、いませんね」
「どこかにお出かけでしょうか」


沖田さんは部屋の中に入り、机の引き出しを開けた。


「ありましたよ、これです」
「何ですか?…豊玉?…発句帳ですか?」
「ええ。豊玉宗匠の素晴らしい句が載せられた、発句帳です」


いつも以上の満面の笑みで説明をする沖田さん。いちいち‘素晴らしい’何てつけるところが、心にも思っていないようだった。


「土方さんは句を作るために部屋に籠もっていたのですか?」
「三月ほど前にもありましたね、こんな時期が」
「意外ですね」
「読んでみますか?」


差し出された発句帳を受け取ってしまった。鬼の副長とまで呼ばれている土方さんがどんな句を作るのか。興味と好奇心は抑えられなかった。私が黙々と発句帳を読みふけっていると、廊下から足音が聞こえ、襖が開いた。


「…総司、。何をしているんだ?」
「豊玉宗匠の句をさんに紹介しているんですよ」


悪びれた様子もなく言う沖田さんに、土方さんは絶句したように固まった。


「どの句がいいと思いますか?」
「これがいいですね」


梅の花咲くる日だけに咲いて散る


この句が頭の中に残った。


「土方さんは梅がお好きなのですね。だから私の着物も梅の柄を…」
「ちゃんはいる?」


突然、藤堂さんが襖を開けた。土方さんは、私が持っていた発句帳を奪い、懐にしまった。


「呉服屋の主人が来ているよ」









「こんなに早く、ありがとうございました」


私は手をつき、頭を下げる。私の隣には、土方さんがいる。


「急がなくとも良かったぜ?親父」
「いえ、着物はともかく、道着はすぐにでも必要かと思いまして」
「助かります」
「お気に召されたようで、良かったです。それでは、またご贔屓に」
「門まで送っていきます」


門までの道のり、呉服屋の主人はこんな事を言っていた。


「土方先生とは少しですが付き合いがあります。今日の先生はいつもより少し柔らかな気がしました。
 様と一緒におられたからでしょうかね」









客間に戻ると、土方さんがいた。自室に帰っているだろうと思ったので、驚いた。


「土方さんは、梅の花がお好きなのですね」
「梅は桜より華やかではないが、飾らないところが好きだ」
「土方さんらしい気がします」


私がくすくすと笑っていると、土方さんが着物が入った箱を差し出した。


「着てみたらどうだ」
「しかし、これは外出用ですので…」
「…今から外に出るか」
「えっ」


突然の申し出に戸惑う私をそのままに、土方さんは立ち上がり、客間を出て行こうとする。


「俺は部屋に戻る。着替えて来るように」






鬼の梅