「それが頼んでいた着物ですか?」
部屋に戻り、梅柄の着物を取り出す。改めて見ると、とても品があり、私なんかにこの着物が本当に似合うのか少し心配になった。
外出するため、化粧も少しし、部屋を出ると丁度、沖田さんと鉢合わせした。
「ええ。私にはあまり似合いませんよね」
「そんな事ないですよ」
「土方さんが選んでくれたと言えば、皆さん驚きますかね」
「そりゃあ驚くでしょうね。何せあの鬼副長ですから」
くすくすと笑いあう。私はこの着物を着たことに気持ちが高揚していた。
「今からどちらへいかれるんです?」
「何処へ行くのかは知りませんが、土方さんに誘われたので」
「土方さんが?楽しんできてくださいね」
沖田さんが一瞬驚いたような顔になったが、あまり気にはしなかった。
○
「実は私も、少しですが句を作るんですよ」
土方さんの部屋に行き、行き場所も知らされないまま屯所を出て、他愛もない話をした。
「お前は舞もやっていたと総司が言っていた。色々な習い事をしていたのか?」
「祖母がそういう人だったので、嫁に行くために必要な事はほとんど習いました。
読み書きや茶、花や句などですかね」
「それで剣も習い始めたのか」
「祖母は猛反対してましたけれど」
橋に差し掛かかった。人が行き交い、賑やかな橋の上で、川を見下ろす。穏やかな川の流れはいつまで続くのだろうか。そんなことを思った。
「それまで祖母の言われた通りにしてきたので、反発した私を見て、祖母はとても驚いていました。
でも剣を習い始めて、やはり自分のやりたい事をやれば楽しいのだと分かりました。
人の言いなりほどつまらない物は無いです」
「俺はずっと逆らってきたからな。昔は自由奔放に生きていた」
土方さんが初めて自分の過去を話す。私は静かに、けれど心は波打って聞いていた。
「実家が薬の商業をしていたから、それを継ごうと思った時がある。
だが近藤さんの魅力には勝てなかったさ。そして武士の魅力にも負けた」
自嘲気味に土方さんが笑う。私達はまだ、川を眺めている。
「俺は武士になれたと思うか、」
今までになく小さな声だった。けれど私の耳にはしっかり届いていた。
「武士、ですか。曖昧な言葉です。何処からが武士で何処からが違うのか。
私には分かりませんが、土方さんは私の中で立派な武士ですよ」
「…そうか」
土方さんは私の方へは顔を向かず、ずっと川の流れを目で追っていた。少し微笑んでいたように見えた。
○
「何処へ向かっているのですか」
「紅葉の綺麗な寺だ。そこで一句作りたい気がした」
「いい句ができたら是非、聞かせてください」
随分と屯所から離れていった気がする。もうすぐ夕七つ(午後四時頃)ぐらいだろうか。あたりが薄暗くなってきた。
山が近い。目の前に石畳の階段が見えてきた。
「少し距離があるが、歩けるか?」
「大丈夫ですよ」
体力的には問題はないが、この着物は上りづらい。
上る速さが遅い私に、土方さんは歩調を合わせ、決して置いて行ったり、前で歩いたりはしなかった。
最後の階段を上りきり、境内を見渡すと、一面に紅葉が連なっていた。
「すごく綺麗ですね」
見たことのないような景色に気持ちが高鳴る。
土方さんを見ると、いつもの様に仏頂面ではあったが、どこか優しい表情な気がした。
紅葉が寺の境内を囲っている。その紅葉と紅葉の間から、夕陽が落ちていくのが見える。
紅葉の赤と、夕陽の赤が一体化して、何とも言えない神秘的な空間が出来上がっていた。
「異国にいるようです」
「ここが異国なら、良い国だな」
紅葉しかないこの境内。赤一色だ。他の色は全くなくて、不思議な感覚に襲われる。
「紅葉山 赤の夕陽と 赤の森 玉響の景色 異国へ落ちる」
不意に私が句を読んだ。土方さんが紅葉から私へと視線を向ける。
「どうでしょうか」
「良い句だ」
「土方さんは浮かびましたか?」
「浮かばねぇな」
土方さんは腕組みをして境内を見渡したが、句を読もうとはしなかった。
きっと一句ぐらいは浮かんでいただろうが、言えなかったのだろう。そう思うと何故か可笑しくて笑ってしまっていた。
土方さんがこちらを怪訝そうに見ていたが、何も言わなかった。
「そろそろ帰りましょうか。夕餉の支度をしなければいけません」
「そうだな」
来た道を戻る。あの長い階段も、行きの様に土方さんは歩調を合わせてくれた。しばらく歩き、屯所への一本道に差し掛かった時、土方さんが言った。
「あんな遠くまで歩かせてすまなかったな」
「いえ。その分、あんな綺麗な風景を見れたのです」
足音が響く。影が近づいて、刀を振り上げていた。
「また行きましょう」
私が言い終わると同時に、土方さんが抜刀し、相手の刀を受ける。相手は一人だった。
「土方歳三だな」
「そうだが」
「お前を殺す。長州の、仲間の仇だ!」
「俺を殺す?こんな小さな事しかできねぇのか、長州の野郎は!」
土方さんが受けていた刀を払う。二人は離れ、距離をとった。考えてみると、土方さんが剣を握るところは初めて見たかもしれない。
気が立っている相手は、なりふり構わず飛び込んできた。
土方さんは、いたって冷静で、相手が飛び込んでくるのを待っていたかのように、少し笑い、刀を下から上へ斬り上げた。
相手の腕が飛び、胴体には斜めに斬り口が走っていた。相手が倒れたところに血が溜まる。土方さんは懐紙で刀の血を拭い、鞘に入れた。
「、屯所へ行って誰か呼んで来てくれないか」
私は血を一点に見ていた。土方さんが何か言ったのは聞こえたが、はっきりとは聞こえない。
「おい、!大丈夫か!」
肩を揺さぶられ、目が冴えた。目の前に土方さんがいて、驚く。
「だ、大丈夫です。すみません、もう一度言ってくれませんか」
「屯所で誰か呼んできてくれ」
「分かりました」
土方さんに背を向け、走っていく。あたりはもう暗くなっていて、灯りが必要なほどだったが、構わず走った。
○
「これはまた派手にやりましたね」
屯所に戻ると、丁度沖田さんと出くわして、状況を話した。沖田さんが他の隊士に奉行所へ知らせに行くよう言った。
「相手が悪いんだよ。長州の奴らは、どうも血の気が立っているな」
「久しぶりですね、こんな斬りあいは」
どこか楽しそうに言う沖田さんに、私は寒気を感じた。固まっている私に気付いたのか、土方さんが言う。
「後は頼んだ。俺はを連れて帰る」
「仕方ないですね。今度、おしるこ一杯、お願いしますよ」
土方さんに連れられて、夜の道を再び行く。私の心はどこか不安定で、動揺していた。
「本当に大丈夫なのか」
「…少し、驚いただけです。あんな斬りあい、見たことないですから」
「すまなかった。もう少し早く帰っていればよかったな」
「いいえ。もう平気ですから」
笑っているはずなのに、作っているような笑顔になった。土方さんは眉間に皺を寄せていた。
「俺達は、もう血に怯えたりしない。何度も人を斬った。慣れちまったのさ。
、お前は俺達のようになるな。人を斬って快楽を得るのは俺達だけでいいんだ」
玉響の景色