pendulum
若者が行き交う街、ニューヨーク。
ファッションも、エンターテインメントも、経済でさえも、世界の中心と言える。
幼い頃から住み慣れているこの街だけど、たまにふと思う。
華やかに自己主張するこの街は、いつの間にか私の中心にもなっていた。
「ねぇ。前から来るプラチナブロンドの人、かっこいいわね」
「本当ね。美しい、の方が合ってるかも」
今日は大学の講義が午前で終わったため、仲の良い友人のメアリーとリザとショッピングに来ていた。
花鹿の結婚式が執り行われてから、半年以上経っていた。
私は2人の会話を聞き、前を見る。ドクン、と心臓が鳴る。眩いほどに輝く髪に真っ白な肌。ユージィンだ。
サングラスをしていても、誰だか分かった。1年以上前まではほとんど毎日顔を合わせていたのだから。
でも最近は全く会ってはいなかった。花鹿の結婚式以来だろうか。
向こうは顔を忘れているかもしれない、とすれ違う直前に弱気になった。
「、だろ?」
驚いて声も出ない。まさかユージィンから声をかけてくれるとは思わなかったから。花鹿と出会う前までの彼では考えられないことだ。
「ええ、よ。久しぶりね、ユージィン」
サングラスを外した彼の目は、相変わらず美しくて、冷ややかな印象を受けたけど、やはり以前とは違い、少し優しさがあった。
「何故ニューヨークに?」
「放浪の旅から戻ってきてね」
「大学はどうしたの?」
「もう単位は足りてるよ」
流石ね、と私が笑うと、ユージィンも柔らかく笑っていた。差し詰め花鹿に会いにきたのだと思うけど、深くは問わなかった。
もしそうなら、今夜の花鹿主催のパーティーで会うだろうから。
「ぼくはしばらくニューヨークにいるよ。このホテルに泊まるだろうから、よかったら連絡してくれ」
「分かったわ、ありがとう」
メモを渡され、別れた。私は久しぶりの再会と思い出の余韻に浸りながら歩き出した。
「、あなた知り合いだったのね」
メアリーが興味津々といった表情で尋ねてきた。彼女は気に入った人が出来れば、積極的にアタックするタイプだ。
リザの方を窺うと、何も言いはしなかったものの、気になっている様子だった。彼女はメアリーとは違って奥手なのだ。
「ねぇ、今渡された彼の連絡先、教えてくれない?」
そして私は断れない性格だ。私は今までの余韻が拭われた感じがして、少し興冷めた。
○
今夜のパーティーに、ユージィンは姿を見せなかった。花鹿はとても残念がっていた。
私は嫌な予感がしながらも、昔の話に花を咲かせた。
次の日の講義の後、3人でお茶をした。メアリーが興奮気味に話し出す。
「昨日の夜、ユージィンの部屋に行ったの!」
嫌な予感が当たった。連絡先を知ったその晩に部屋に行くなんてこと、いくら積極的な彼女だからと言っても、今までになかった。
「彼はどこかに出かけるみたいだったけど、私を抱いてくれたわ!」
こんなにうっとりと話す彼女も見たことがない。それほどユージィンに心を奪われてしまったらしい。
ユージィンは以前は花鹿のためなら必ず出向いたのに、と彼の行動を不思議に思った。
またリザの顔を窺うと、何とも言えない表情だった。
次の日も、その次の日もメアリーはユージィンの話ばかりしていた。
昨日は映画に行っただとか、今日はミュージカルを見に行くだとかを、とても嬉しそうに話していた。
時には講義をサボることもあった。彼女は完全にユージィンに溺れ、もう海面に浮いてこれないところまで来ていた。
私は特に何も感じない。ただ、何故リザが、毎回悲しそうな表情で話を聞いているのか気になるだけだった。
○
数日経ったある日の夜。電話が鳴った。
「。私、人を殺してしてしまうかもしれないわ」
リザは電話越しにそう静かに言った。私の背中に冷や汗が伝った。
今まで彼女に感じていた疑問を、今、全て理解したからだ。
「…リザ、あなたユージィンのことを…」
「メアリーが憎くて仕方ないの。どうしたらいいの、!」
「落ち着いて。今どこにいるの?」
「メアリーの家の前よ」
私は急いでメアリーの自宅へ向かった。私たち3人は比較的近い距離に住んでいる。
大通りまで走ってタクシーを拾う。
メアリーのマンションのドアの前に着いてからも、とっくに息は整っているのにまだ心臓が鳴っていた。
ドアに鍵はかかっていなかった。私は少し躊躇いながらもドアノブを回し、真っ暗な廊下を歩き、無音のリビングに行った。
誰も居なかった。見渡しても、人影はない。ドン、と寝室から物音がした。私は寝室のドアを開けた。
手は震えていながらも、躊躇いはなかった。
「いらっしゃい、」
ユージィンは、裸でベッドに体を預けていた。彼は花鹿と出会う前のように、口の端だけを持ち上げる笑い方をした。
床には腹から血を流しているメアリーと、手首に深い傷を負ったリザが倒れていた。
「ユージィン、あなたまた…」
「ぼくは死神に戻ったらしい」
この状況下で、前髪を掻き揚げるその仕草も美しいと思ってしまった。
彼はまた、花鹿と出会う前のように女性を自殺に追い込んだのだ。
「何で…この前のパーティーに来なかったの?昔は花鹿のためなら絶対に来たじゃない」
ユージィンの顔色が少し変わったような気がした。瞳は冷たく、感じたことないような恐怖が私を襲う。
「本当は行くつもりだった。ホテルを出ようとした時に誰かが訪れて、
ぼくは君が来たと思ったんだよ、」
彼の目つきが一層鋭くなる。
「でも君じゃなくマリアだった。その時ぼくは何故か失望したんだ。君に、そしてぼく自身に」
私達は会うことを楽しみにするあまり、すれ違っていたんだ。
「どこかで期待してたんだ。でもそれは破られた。
ぼくの中で諦めが起きて、パーティーはどうでもよくなった」
「それで、何の感情も持たないまま、メアリーを抱いたの?」
「そうだよ。こんな気持ちは、花鹿に会ってから初めてだ」
彼は服を着ながら話した。私は目の前に倒れる2人を、見つめるだけだった。救急車も呼ばず、警察も呼ばない。
私達は別の空間にいて、これも全て夢だという感覚に陥る。彼が近づく匂いがした。
「メアリーと関係を持ちながら、リザとも関わったのね」
「あぁ。リザがそれでもいいと言ったからね」
「どうやってリザと知り合ったの?」
「彼女はメアリーと違って頭がいい。自分の親のこねを使って、ぼくの所在を調べたんだろう」
ユージィンは私と向き合った。私達の間には、2人が横たわっている。
私は不思議と友人が傷ついた悲しみも、怒りも起こっては来なかった。
「ねぇ、ユージィン。私いま嬉しいの」
「どうしてだい?」
「私も何処かで期待してた。パーティーでユージィンと会うことも、その後も。
でもメアリーが貴方に恋をした。私も失望したのかもしれないわ」
思い込み、互いに失望していた。自分自身にも。
「でも、今は邪魔者が居なくなったという感情に近いわ。最悪ね私」
「ぼくも2人を利用したのと同じさ。君を気付かせるためにね」
「気付いたわ、ユージィン」
「何を?」
彼はしっかり笑った。私の言いたいことも、自分の聞きたいことも分かってるんだろう。
彼が聞きたい答えを言う。元からそのつもりだった。
「私は貴方を、出会った時から愛していたの」
止まっていた振り子が、動き始めた。