「ユージィン。言わなくちゃならないことがあるわ」
おかしいとは思った。自分の体は、自分自身が一番分かってるはずなのに、気付かなかった。
心のどこかでは感づいていたのは確か。でも、現実を見たくなくて目を逸らしていたのも確か。
「子供が、できたの」
この言葉を聞いた貴方の反応を想像することはできなかった。
だから私は、自分の胎盤に、小さな小さな命が宿っていることを貴方に伝えることができなかったのだろう。
今も私は貴方の顔を見れていない。怖いのだ。
「…降ろして、くれないか…」
かなりの時間が経ったと思う。彼が何かを言い出すまで、私は何も言わずにただ耐え、待っていた。
私の不安が闇に飲まれるその前に、彼は言ったのだ。私を一気に絶望へ落とす言葉を。
「何故なの…ユージィン。貴方の子供よ…?」
「君が憎い訳ではないんだ…分かってくれ、…」
あぁ、彼は過去に囚われているんだ。過去の自分に、そして母親の面影に。
ユージィンはソファに座る私の元へ跪き、私の左手を両手でぎゅっと握った。
私はあいた右手で、彼の細く美しい髪を撫でた。
「ユージィン。私は悪魔の子を生むわけではないわ」
「…いいや。ぼくの遺伝子が入っているなら、その子は悪魔だよ」
「確かに、貴方の母親は、何年も前に死んだ顔も分からない男の子を産み、苦しんだ。
でもねユージィン。貴方は生きているの。そして私は何より貴方を愛しているのよ」
ユージィンは握る力を更に強くした。過去と、自分の犯した過ちを天秤にかけているように見えた。
私はそっと手を彼の頬に寄せ、顔を上げさせた。目と目が合い、瞳と瞳で話すのだ。
「悪魔の子としての貴方は、あの20歳の誕生日で花鹿が殺したでしょう。
貴方はもう過去に囚われてはいけないの」
「ぼくは…ぼくはクリスティンを苦しめ殺した…。君も同じようになったら…」
「いい、ユージィン。子供は悪魔じゃない、天使なの。天使を生むのに苦しむはずないわ」
私はユージィンの頬にキスをして、自分の額を彼の額に軽くぶつけた。
近い距離だからこそ、お互いの心の気持ちも読める気がした。
「私は貴方の子を生むわ。貴方は父親になるの」
「…ぼくは君以外に、人を愛せる自信がない…」
「なら、子供に慣れましょう」
私は部屋の外へ出て、丁度通りかかったピエール義兄さんを見つけた。
彼はいつも私を見ると強張った顔になる。
きっと私が、魔性のユージィンを手懐けて結婚までしたのだから、それで恐れているのかもしれない。
「ピエール義兄さん、ヘリをチャーターしていただけますか?」
「ヘリ?!何処へ行くつもりだい?」
「キヴォリ島へ」
「またあの島へ行くのか!あそこは意外と面倒なんだぞ…」
義兄さんはぶつぶつ言いながらも頼みを聞いてくれた。
ユージィンは部屋のドアにもたれて話を聞いていたらしい。
怪訝そうな顔で私を見ていた。それに少し笑って、説明をした。
「花鹿と立人の赤ちゃんが生まれたのは知ってるでしょ?」
「3ヶ月ほど前だろ?」
「ええ。私は生まれた時に見に行ったけど、貴方は行ってない」
「仕事だったんだ」
「貴方なら仕事なんて何とでもなるでしょ。行きたくなかっただけよ」
ユージィンは眉を寄せて、溜め息をついた。参った、と言うように笑い、私の頭をポンポンと叩いた。
○
「大きくなったわね!」
「もう3ヶ月だもん。早いもんだよ」
花鹿と立人の子供は、生後3ヶ月で、首がすわった頃だった。
目もしっかりと見え始めたのか、大きな目できょろきょろ見回すのが何とも可愛らしい。
ユージィンは一歩後ろに立ち、私が子供を抱いてあやしているのを静かに見ていた。
「急にどうしたの2人とも。会えて嬉しいからいいけど」
「実は、ユージィンが子供が苦手みたいで、慣れさせてあげたかったのよ」
「そうだったんだ。ん?でも何で今なんだ?」
感のいい立人は気付いているようで、私の顔を窺ってきた。私は頷いて、立人に説明を促した。
「花鹿、にも子供ができたんじゃないか?」
「えっ?!本当、!」
「ええ、そうなの」
先ほどの、私とユージィンのやりとりを話すつもりは最初からなかった。
花鹿たちも深くは聞いてこないところを見ると、薄々何故ユージィンが子供が苦手なのかを気付いているのだろう。
「ムスターファも抱いてみなよ」
「絶対に落とすなよ」
立人が心配そうに見守る中、ユージィンは抱き方を教わってようやく腕におさめることが出来た。
彼はじっと子供の顔を見ていた。
「髪の色、鼻筋が立人そっくりだ。しかし目と口は花鹿だ。
この子はぼくの憎しみの感情を逆撫でするのが上手いようだよ」
「…ユージィン。もっと他に気付くことはないの?」
私達が呆れて何も言えなくなっていると、子供が手を伸ばしてきた。
ユージィンは反射的にその小さく広げられた手に、自分の指を掴ませた。
子供は喜びを表現するようにバタバタと足を振り、きゃあきゃあと笑った。
それを見て、ユージィンが少し微笑んでいたのを、私は見逃さなかった。
「この子、ムスターファの指を離さないよ!」
「本当だ。相当ユージィンのことを気に入ったんだな」
一向に離してくれない手を、ユージィンは困ったように見て、それから私に目を向けた。
私は小さく微笑んで、そっと握っていた手を解いてあげた。
しかし、指が離れた瞬間、子供は泣き喚き、母親である花鹿があやしても泣き止まなかった。
駄目もとでもう一度ユージィンに抱かせてみると、すぐに泣き止み、私達は笑い転げた。
「ユージィン!貴方、子供にも好かれるのね!」
「どこがそんなに可笑しいんだい、」
今度は彼の方が呆れて、私達を見ていた。
もうユージィンは、自分からあやすようになり、子供に慣れてきたようだ。
「ねぇユージィン。子供は悪魔じゃないでしょう?」
「…あぁ、天使だね。君の言うとおりだった」
天使を抱くユージィンの微笑みは、柔らかく、明るいものだった。
○
「元気な女の子です」
あれから数ヶ月経ち、たった今、私も母親になった。
自分の中に悪魔が宿っているなんてことはなかった。
いつも穏やかに毎日を過ごすことができたことは、この子が悪魔ではないことの証になるだろう。
ユージィンが息を切らせて病室に入ってきた。
看護婦さんに子供を抱かせてもらった瞬間に、彼は泣き崩れた。
「ユージィン。命ってすごいわね」
「あぁ。クリスティンにも、こんな風に喜びに溢れた出産をしてほしかった…」
「でも、そのおかげで貴方は今生きてる。感謝しなくちゃ」
「そうだね。アラン叔父さんも、父も、クリスティンも。そしてぼくの天使を生んでくれた君にも」
そう言って、私とユージィンは、私達の天使の頬へとキスを落とした。
dear my angel